鍋に湯を沸かしたとたん、台所に青い香りがふわりと立ちこめた。今朝、商店街の八百屋で買ってきたそら豆だ。「もう今週で終わりかもしれんよ」と店主のおじさんが笑いながら言っていたから、迷わず四さやつかんだ。六月に入ったとたん、棚から姿を消す野菜がある。そら豆はそのひとつで、旬の短さがかえって存在を際立たせている。先週よりも色が濃く、さやがふっくらとしていた。夏の気配が、少しずつ近づいてきている。
さやを割ると、豆は白い綿にくるまってゆったり並んでいた。三粒、また二粒と、不揃いなのがいい。大きめの粒ほど色が濃い。塩ひとつまみを落とした沸騰湯に入れて、ちょうど二分。引き上げて水にとり、薄皮をそっと剥く。指先がほんのり熱くて、豆の温度が生きている感じをちゃんと伝えてくる。うっかり力を入れすぎると中の豆がくずれるから、急がない。ひとつひとつ丁寧に剥いていると、台所の時間がゆっくりになる。剥いた豆を皿に並べると、濃いグリーンがきれいで、少しの間眺めてしまった。
一粒、口に入れてみた。シャクッと折れて、奥から青みのある甘さがじわりと広がる。後からほんのりとしたえぐみが追いかけてきて、甘さの輪郭をくっきりさせる。噛むたびに甘さと苦みが入れ替わって、最後にほんのり草の香りだけが残る。今日は粗びき黒こしょうをほんの少し振ってみた。塩だけのときとは少し印象が変わって、えぐみとこしょうの刺激が共鳴して、豆の甘さをいっそう前に押し出してくる。梅雨前のこの時期、少しだけ刺激があるほうが口がすっきりする気がした。
今夜は薄揚げと出汁で炊いた一品にしよう、と決めた。出汁昆布と花かつおでゆっくり引いた出汁は、うすいけれど香りがある。薄口醤油を小さじ一、本みりんをほんの少し加えた。火にかけて、薄揚げを先に入れてから、そら豆を加えた。ところが途中で吹きこぼれそうになって焦り、蓋を取ったまま火を強めてしまった。三分ほどそのまま炊き続けた結果、豆の表面が思ったより固くなってしまった。もちっと、奥まで出汁が染みた食感を期待していたのに、外側だけアタリが硬い。台所のメモに「弱火で蓋を外さない」と書き加えた。
それでも悪くなかった。薄揚げがほろりとくずれ、出汁をたっぷり吸っていたから、豆の固さがいい対比になった。ふたつの食感があると、食べ終わるまで飽きない。余った出汁に、冷蔵庫のご飯を少し足して卵を落とした。深夜の小さなたまご雑炊。一人暮らしの台所は、ひとつの料理が次の料理へと静かにつながっていく。その連鎖を手繰り寄せながら食べるのが、夜の台所仕事の醍醐味だと思う。
梅雨の前のこの季節、食材の変わり目が台所のリズムを整えてくれる気がする。去年の今ごろは何を作っていたか、すぐには思い出せないけれど、そら豆を見ると六月が来たとわかる。食材が暦になっている。旬を外さずにいると、季節が体に刻まれていく。
祖母の家では、そら豆は塩ゆでにして縁側に並べ、おじいさんのお酒のつまみになっていた。福井の、夏の手前の夕方。縁側に並んで座って、おじいさんはお酒、私は麦茶。さやごと口に運んで、歯で豆を押し出す。皮の苦みが舌の上にかすかに残る。子どものころは少し苦手だったのに、今はその苦みが好きになっている。だから一人分でも、器には余白を残して盛る。余白があると、なぜか料理がゆっくりおいしくなる気がする。
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