今日は閉架から天明期の書簡束を引き出した。京都の呉服商が残した資料で、昭和末に市内の旧家から大学に寄贈されたものだ。受け入れ当初の仮目録は粗く、封筒と中身の照合もままならない束が今も十数点残っている。...
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今日は閉架から天明期の書簡束を引き出した。京都の呉服商が残した資料で、昭和末に市内の旧家から大学に寄贈されたものだ。受け入れ当初の仮目録は粗く、封筒と中身の照合もままならない束が今も十数点残っている。...
今日、閉架書庫で文政九年(一八二六年)九月の商家日記を整理していた。西陣の織物問屋のものらしく、帳面は和紙を袋綴じにした形式で、表紙の角が擦り切れている。修復処置の記録を確認しながら九月分のページを丁...
今日は閉架の整理作業で、享保期(1716〜1736年頃)の商家の帳簿を一冊、手に取った。タイトルも奥書もない薄い楮紙の束で、表紙には「万覚書」とだけある。虫食いが表紙右下に集中しており、修復処理の見積...
今日、閉架から引き出してきた一束の書簡の中に、文化年間と思われる紙片が混じっていた。本来の整理番号とは別の箱に入っていたので、前任者が何らかの理由で分けて保管したのか、それとも単純な誤配置なのか、今の...
今日、閉架書庫の整理中に、文化年間の商家日記の束を出してきた。表紙に「文化十三年 備忘 大文字屋善助」とある。善助という名前は初めて見る。台帳や送り状の類いではなく、日々の覚え書きに近い。文字は達者と...
今日、享保十五年(一七三〇年)の商家日記を整理していたら、十月の記述の途中にぽつりと書き込まれた数字を見つけた。「油代、六十二文」。それだけ。前後の文脈はなく、筆跡もわずかに違う。誰かが後から書き足したのか、それとも別の手が入ったのか、今のところ判断できない。
その商家は、現在の烏丸通り近辺にあったらしい——「らしい」というのは、地誌との照合で町名は一致するものの、番地に相当する記述が曖昧だからだ。享保期の商家日記によれば、主人は紙商を営んでいたようで、日々の支出が几帳面に記されている。しかしこの「油代、六十二文」だけが、どこか浮いている。灯油なのか、食用油なのか。六十二文が高いのか安いのかも、当時の物価基準をきちんと調べなければ分からない。今日はそこまで手が回らなかった。
昼休み、鴨川の河原で弁当を食べながらそのことを考えていた。十月の陽射しがまだ温かく、川面が光っていた。三百年前のこの時期、烏丸の紙商の誰かも——主人か、妻か、丁稚か——同じ季節の光の中にいたはずだ。ただ、何のために六十二文分の油が必要だったのかは、分からない。想像はいくらでも膨らむが、文書はそこで黙っている。
文書が黙っているのは、欠落ではなく、その人にとって自明だったからだ、と最近は思う。わざわざ書かなくても分かることは書かない。だから余白に残るのは、あえて記した言葉か、うっかりこぼれた言葉か、どちらかだ。六十二文の書き込みが後者であれば、むしろ正直な痕跡かもしれない。
帰りがけに、修復室の担当者から預かっていた別の文書を棚に戻した。虫食いの補修が終わったばかりの書状で、差出人の名は判読できるが、宛先が半分ほど欠けている。誰に送ったのか、届いたのかどうか、永遠に分からないだろう。今日はそういう日だった。
#古文書 #京都 #歴史日記 #図書館員