今日、閉架から引き出した資料の束の中に、ひとつ日付のおかしな文書があった。享保十七年(一七三二年)の商家日記に挟まれていた一枚の覚書で、表には「七月十七日、米一升 銀三匁」と書かれていたが、傍らに薄い墨で「十八日に訂す」と添えられていた。訂正があったということは、誰かが翌日に読み返した、ということだ。それだけのことだが、ふと手が止まった。
享保十七年は西国大飢饉の年である。享保の大飢饉、と教科書には書かれるが、この日記の筆者は米の値を几帳面に書き続けていた。一升三匁という値が高いのか安いのか、この時期の相場を別資料で確認しなければならないが、今日は時間が足りなかった。推測になるが、その年の夏は各地で凶作の報が届いていたはずで、米価は不安定だったろう。翌日に訂す、というのは値が変わったためかもしれない。仮の読みだ。
覚書の筆跡は二種類ある。本文と、訂正の一行。同一人物かどうか、今の私には分からない。丁稚が書いたものを主人が直したのか、あるいは逆か。名前は一切記されていない。