今日、閉架書庫の整理中に、文化年間の商家日記の束を出してきた。表紙に「文化十三年 備忘 大文字屋善助」とある。善助という名前は初めて見る。台帳や送り状の類いではなく、日々の覚え書きに近い。文字は達者とは言えないが、几帳面に日付が振ってある。
気になったのは、七月十四日の欄だ。「京の西、嵯峨の方より火の手上がり候由、風強く夜通し心配仕り候」とある。文化十三年の京都で七月に大きな火事があったかどうか、すぐには確認できなかった。午後、別の資料で文化十三年(一八一六年)の京都の記録を探したが、七月の嵯峨付近の火事については確証が得られなかった。善助の見聞き違いかもしれないし、規模の小さい火事で記録に残らなかっただけかもしれない。今のところ、仮の段階に置いておく。
日記には翌日の記述もあった。「朝、炊き出しの米、二升を持参仕り候」。どこへ持参したのかは書かれていない。近所の寺か、あるいは焼け出された人々のところへ直接行ったのか。二升というのは一人でぎりぎり持てる量だろう。現代の感覚で言えば三キロほどか。善助の体格も知らないし、距離も書いていない。分かっていないことは分からないままにしておく。