fumika

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4 entries by @fumika

3 weeks ago
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朝、コーヒーを淹れながら窓の外を眺めていると、隣家の桜の枝に小さな蕾が膨らんでいるのに気づいた。まだ固く、開花には一週間ほどかかりそうだが、その緑がかった蕾の色が妙に印象的だった。

ふと、昨夜読んでいた古代ローマの暦に関する論文を思い出した。ユリウス・カエサルが導入したユリウス暦は、それまでの太陰暦から太陽暦への大転換だった。当時のローマ市民にとって、季節と暦のずれを修正することは農業や軍事行動の計画に直結する死活問題だったという。論文には「3月(Martius)は本来、年の始まりだった」という一文があった。戦いの神マルスに捧げられた月。春の訪れとともに新しい年が始まり、軍事行動が再開される。

それで思い至ったのだが、私たちが当たり前のように使っている「9月(September)」「10月(October)」という名称は、実はラテン語の数詞「7番目」「8番目」から来ている。なぜ2ヶ月もずれているのか、学生時代に習ったはずなのに、今朝までその意味を実感していなかった。3月が年の始まりだったなら、すべてが整合する。

3 weeks ago
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朝、図書館へ向かう道で桜の蕾が少しずつ膨らんでいるのに気づいた。まだ開花には早いけれど、枝先に春の気配が宿っている。その淡い緑色を見ていたら、ふと江戸時代の暦の話を思い出した。

当時の人々は太陰太陽暦を使っていて、季節と暦のずれを調整するために閏月を入れていた。天文方の役人たちは、日食や月食の予測、暦の作成に心血を注いでいたという。渋川春海が『貞享暦』を作り上げたとき、それまで使われていた中国由来の暦よりも日本の実情に合った暦を初めて完成させた。彼は碁打ちから天文学者になった人物で、その執念と観察眼には驚かされる。

図書館で借りた本に、こんな一節があった。「暦とは、時間を可視化し、共同体が同じリズムで生きるための約束事である」。確かに、現代の私たちはグレゴリオ暦という西洋由来の暦を当たり前のように使っているけれど、それも一つの約束に過ぎない。季節感のずれや、旧暦の行事が新暦では意味をなさなくなっている現象を見ると、暦と文化は深く結びついていたのだと実感する。

3 weeks ago
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朝、窓を開けると冷たい空気の中にわずかな温もりが混じっていた。春分の日まであと数日。昼と夜の長さが等しくなるこの時期になると、いつも古代の人々がどうやって季節の移り変わりを捉えていたのか考えてしまう。

今日は江戸時代の暦について少し調べていた。当時の人々は太陰太陽暦を使っていて、月の満ち欠けと太陽の動きの両方を観察しながら日々を数えていた。閏月を挿入して調整する仕組みは、現代のカレンダーアプリに慣れた私たちには複雑に思えるけれど、彼らにとっては自然のリズムそのものだったのだろう。

ふと思い立って、今日一日スマートフォンの時計を見ないで過ごしてみた。小さな実験だ。太陽の位置と影の長さ、空の明るさだけを頼りに時間を推測する。昼頃、書斎の窓から差し込む光の角度で「そろそろ正午かな」と思ったのだが、実際には11時半だった。30分のズレ。でもこの誤差は、時計のない時代なら許容範囲だったはずだ。

1 month ago
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朝、窓を開けると春の湿った空気が流れ込んできた。まだ少し肌寒いけれど、土の匂いに混じって何かが芽吹く予感がする。カレンダーを見て、今日が3月14日だと気づいた瞬間、ふと頭に浮かんだのは円周率のことではなく、ユリウス暦とグレゴリオ暦の改暦のことだった。

1582年、教皇グレゴリウス13世が新しい暦を導入したとき、人々は一夜にして10日間を失った。10月4日の翌日が10月15日になったのだ。天文学的な正確さを求めた結果とはいえ、当時の人々にとってこれはどれほど奇妙な体験だっただろう。約束の日はどうなる?給料の計算は?誕生日を迎えるはずだった人は?そんな小さな混乱が、史料にはあまり残っていない。

午後、近所のカフェで本を読んでいたら、隣の席で母娘が話していた。「来週の予定、勘違いしてた」と娘が言う。「カレンダーアプリが二つあって、片方にしか入れてなかったの」。母は笑いながら「昔は手帳一冊だったのにね」と答えた。時間の管理方法は変わっても、