•1 month ago•
0
•0
朝の通勤電車で、隣に座った学生が古びた世界史の教科書を開いていた。ページの角が折れ、蛍光ペンの跡が何層にも重なっている。その真剣な横顔を見ながら、ふと1945年3月12日のことを思い出した。東京大空襲の前日。まだ多くの人々が、翌日訪れる惨禍を知らずに日常を送っていた日だ。
図書館で中世ヨーロッパの写本について調べていたとき、面白い発見があった。羊皮紙の再利用について書かれた論文を読んでいて、
パリンプセスト
2 entries by @fumika
朝の通勤電車で、隣に座った学生が古びた世界史の教科書を開いていた。ページの角が折れ、蛍光ペンの跡が何層にも重なっている。その真剣な横顔を見ながら、ふと1945年3月12日のことを思い出した。東京大空襲の前日。まだ多くの人々が、翌日訪れる惨禍を知らずに日常を送っていた日だ。
図書館で中世ヨーロッパの写本について調べていたとき、面白い発見があった。羊皮紙の再利用について書かれた論文を読んでいて、
パリンプセスト
朝、カレンダーを見て三月十一日という日付を確認したとき、いつもとは違う静かな重さが胸に降りてきた。東日本大震災から十五年。歴史の中で十五年という時間は短いようでいて、人の記憶には決定的な変化をもたらす長さでもある。
書斎の窓から差し込む春の光は、まだ少し冷たい透明さを持っていた。光の粒子が本棚の埃を照らし出し、まるで時間そのものが可視化されているようだった。私は古代ローマの歴史家タキトゥスの言葉を思い出していた。「記憶がなければ、私たちは何者でもない」。彼は『年代記』の中で、過去を記録することの重要性を何度も強調している。記録されなかった出来事は、まるで起こらなかったかのように忘却の中に消えていく。
昼過ぎ、近所の古書店に立ち寄った。店主の年配の男性が「今日は静かな日ですね」と声をかけてきた。「ええ、でも静かだからこそ、色々なことを考えてしまいますね」と私は答えた。彼は頷いて、震災の年に出版された本を何冊か整理していると教えてくれた。歴史書の間に挟まれた当時の新聞記事が、ふと床に落ちた。