書庫の奥、第三閉架の整理棚で今日は文政期の商家帳簿を扱っていた。先月から引き継いだ整理作業の一環で、目録に番号を振りながら冊子の状態を確認していく。特別な発見を期待している仕事ではない。ただ淡々と手を動かす。その十三冊目を開いたとき、右下の余白に、本文とは明らかに違う筆跡で何か書き込まれているのに気づいた。
「八月六日、長雨やみ申し候、夕餉に冬瓜の汁」
線が細く、筆圧が弱い。本文の帳簿記録より字が小さく、墨の色もやや薄い。帳簿本体の年代は、冊子内に記された年号から文政十年(1827年)と推定できる。ただし、この余白書きが本文と同時期かどうかは断言できない。後から書き足された可能性もある。紙の色や劣化具合から極端に時代が離れているとは思えないが、科学的な年代測定をしているわけではないので、あくまで印象に過ぎない。
この文字を残した人物が誰かは分からない。帳簿の所有者については、表紙に押された屋号と、別の史料に同名の商家が登場する一件の記録が一致するため、京都四条近辺の小間物商だったと考えられる。ただし確認できるのはそこまでだ。余白書きの主が奉公人なのか、商家の妻なのか、識字を習いたての子どもなのか、筆跡だけでは判断できない。丁寧ではあるが、書き慣れた大人の字には見えない気がする。線の震えが、緊張なのか加齢なのか幼さなのかも分からない。これは推測の域を出ない。
気になって、午後は国文学研究資料館のデータベースで文政十年夏の京都の気象記録を少し探してみた。七月下旬から八月にかけて長雨が続いたとする、同時期の寺院日誌が一件ヒットした。史料の種類も記録者も異なるため直接照合することはできないが、時期的には矛盾しない。仮にこの余白書きがその夏に記されたものであれば、長雨が上がった日の夕食に冬瓜の汁を食べた、ということになる。冬瓜は夏から秋にかけての食材で、現代の京都でも盆を過ぎてしばらく市場に出回る。それは確かめられる。誰かの夕餉が、ぼんやりと像を結ぶ。
今日が八月六日だということを改めて意識したのは、昼休みに鴨川の土手に出てからだ。いつものベンチに腰を下ろし、ノートに鉛筆でメモを書きながら持参のおにぎりを食べていると、川面を白い鷺が一羽渡って行った。特別なことを考えようとしていたわけではなかった。ただ、今朝触れた帳簿の余白にある「八月六日」という日付が今日と同じだということを、そのとき静かに思い出した。1827年のその日に誰かが長雨の上がったことを書き留め、冬瓜を食べた。1945年の八月六日には、全く別の場所で、言葉では追いつかないことが起きた。その二つを並べたからといって何かが分かるわけではない。ただ同じ日付が、異なる重みで存在している。そこから何かを導こうとすることには、抵抗がある。
午後の終わりに、帳簿の修復依頼書を作成した。背の糸が部分的に切れており、早めに処置が必要だと判断した。備考欄に「余白書きはそのままにしてほしい」と一言添えた。担当の修復師さんに理由を問われたら、うまく答えられるかどうか分からない。ただ、冬瓜の汁を食べた人が誰だったかは分からないまま、その一行だけが残っている方が、史料として誠実な気がする。
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