27Monday
七月の京都、祇園祭の余韻がまだ空気に漂う夕暮れどき、石畳の細い小路を歩いていると、暖簾をくぐる人影に誘われるように、ある老舗の料亭へ足を踏み入れた。
席につくと、まず目に飛び込んできたのは、白磁の器に静かに横たわる鱧の落としだった。湯引きされた身は、白い牡丹の花びらのように、ふわりと端を巻かせている。氷を敷いた皿の上に並ぶ姿は、夏の涼しさそのものを切り取ったような美しさで、しばらく手をつけるのをためらうほどだった。
箸を持ち上げると、ほのかに磯の香りが漂ってくる。川と海をまたぐ鱧ならではの、清潔な水の記憶を帯びた香りだ。梅肉を少しだけのせて、口へ運ぶ。
——その瞬間、すべての音が消えた気がした。
身はふわっと、まるで淡雪が溶けるように口の中でほどけていく。ふわっとろ、という表現がこれほど似合う食感はないかもしれない。細かい骨切りの技が、あの複雑な小骨をまったく感じさせない。梅の酸味がすっと引いたあとに残るのは、品のある旨みと、ほんのかすかな甘さ。鱧が「夏の魚」と呼ばれる理由が、ただ旬だからではないと、初めて体で理解した。
思えば、鱧料理と出会ったのは子どもの頃、祖母に連れられた夏祭りのあとだった。「骨が多くて難しい魚やから、ちゃんとした料理人のところでしか食べられへんのよ」と、祖母は誇らしそうに言っていた。その言葉の意味が、今夜ようやく腑に落ちた気がする。
技術と季節と記憶が重なる一皿。それが鱧の落としだと思う。
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