西荻窪を起点にしたのは、荻窪との境がよくわからないからだ。毎回「あれ、もう荻窪か」とスマホを確認するはめになる。実際、地名の境界線がどこにあるのか、長く住んでいる人でも説明できないんじゃないかと思う。...
西荻窪を起点にしたのは、荻窪との境がよくわからないからだ。毎回「あれ、もう荻窪か」とスマホを確認するはめになる。実際、地名の境界線がどこにあるのか、長く住んでいる人でも説明できないんじゃないかと思う。...
水曜日なのに有給を取った。理由は特にない。強いて言えば、先週からずっと気になっていた暗渠を歩きたかった、それだけだ。蛇崩川の跡を池尻大橋から三軒茶屋まで歩く計画を立てた。「計画を立てた」というほどのも...
今日は五反田駅の南口を出て歩き始めた。目的地は特にないといえばないのだが、品川用水の暗渠跡を荏原町から戸越公園のあたりまでたどってみよう、というのを一応の目標にしていた。九月の日曜日で、まだ蒸し暑かっ...
先週の土曜日、明大前を出発したのは午前九時半ごろだった。北沢川の暗渠跡をたどって三軒茶屋まで歩くつもりで、前日に地図も確認しておいた。確認しておいたのに、甲州街道を渡ってすぐ地図を開いたら、スマホの画...
西武新宿線の野方を降りたのは十一時すぎで、ホームの階段を下りながら「南口はどっちだったか」と五秒ほど考えてから北口に出た。目指していたのは南だったので、商店街の入り口をくぐって反対方向に五分ほど歩いて...
今日のターゲットは、阿佐ヶ谷から桃園川の暗渠を辿って高円寺まで歩くことだった。地図上の距離は六キロ弱で、「軽い午前中の散歩」のつもりで阿佐ヶ谷駅に降り立った。改札を出た瞬間、なぜか北口に立っていた。南口に出るはずだったのに、周囲の風景が地図と全然合わない。しばらく立ったまま考えて、ようやく気づいた。地図を百八十度逆さに持っていた。地図は何も悪くない、私が悪い。余計に十五分歩いたことで足がウォームアップされた、と思えばポジティブに変換できる。阿佐ヶ谷は来るたびに南北を忘れる駅で、たぶんこれからも忘れ続けるのだろう。
桃園川の暗渠を意識しながら歩くのは今日が初めてだった。知らずに歩けばただの遊歩道で終わるのに、「かつてここに川があった」という意識で歩き始めると見え方が変わってくる。道の真ん中がわずかに低く、両側が微妙に盛り上がっている。その低さが川の幅の記憶なのだろうと思うと、足の下に水を想像してしまう。今日特に目に留まったのは、暗渠のラインが小さな公園の縁をかすめているところだった。そこだけ植樹の列が川跡に沿ってゆるやかにカーブしていた。川そのものは消えても、木の植え方にかつての川の形が残るらしい。ノートに「植樹の記憶」と書いたあと、少し照れて「大げさ」と書き足した。どちらも消さないでおいた。二十分ほど暗渠沿いを歩いて、住宅街に入ったあたりで暗渠の痕跡を見失った。また探すのも散歩のうちだ。
商店街のアーケードに入って少し歩いたところで、何屋なのかよく分からない店を見かけた。ショーウィンドウには陶器の狸、古い扇風機、造花が並んでいて、値札はなく、営業中かどうかも判断がつかない。看板には「ご用の方はインターホンをお押しください」とあるはずなのだが、ペンキの経年劣化で「ご用の方はイン」のところで文字が途切れていた。「イン」で止まると意味不明な命令のようで、妙な威圧感がある。意味が分からないのになんとなく従いたくなる、あの感じはなんだろう。店の中は暗く、人の気配もなかった。結局インしなかった。でも、途中で途切れた看板というのは、完成した看板より記憶に残る気がする。
高円寺の駅が近づいたあたりで、路地を一本折れると昔ながらの喫茶店があった。ガラス戸の向こうにカウンター席が見えて、客は二人だった。引き戸を開けると、煙草とコーヒーが混ざったような独特の空気が鼻に来た。好きか嫌いかで言えば、嫌いではない。奥のスツールに腰を下ろして、ホットコーヒーを頼んだ。三百円だった。小さな皿にコーヒーフレッシュが一個添えられていたが、使わなかった。最初の一口が思っていたよりずっと苦くて、でも次の一口からちょうどよくなった。その二段階の変化が、なんというか正しい感じがした。マスターはずっとテレビの競馬中継を見ていて、会計のときにだけ振り向いた。その「あ、客がいた」という顔が、今日の散歩で見たものの中で一番よかった。
帰りの中央線の車内でノートを開いたら、今日のメモは三行だけだった。「植樹の記憶(大げさ)」「イン」「コーヒー三百円、苦い→普通」。文章にはならなかったが、これを見ればどこを歩いたか大体思い出せると思う、たぶん。日が短くなってきたせいで、高円寺を出るときにはもう夕方の傾いた光になっていた。十月は日没がはやい。電車が荻窪を過ぎるあたりで、窓の外が完全に夕暮れになった。足が十三キロ分ほど疲れていた。今日の阿佐ヶ谷と高円寺の間に、川の記憶と「イン」と三百円のコーヒーがあった。それで十分な気がした。
#街歩き #暗渠 #阿佐ヶ谷 #散歩日記