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油が跳ねる乾いた音がした瞬間、茄子の断面から白い蒸気が勢いよく立ちのぼった。台所の小窓を少し開けていても、甘くかすかに焦げた香りはすぐに部屋の隅まで広がる。九月に入って湿気が少し抜けてきたせいか、今日は油の温度が上がるのが早かった。八月の台所とはもう空気が違う。この匂いと熱気に包まれていると、料理をしているという実感が、手先よりも胸の奥の方から先にやってくる気がする。
今朝は少し早起きして、駅前の八百屋に寄った。入り口の木箱に群馬産の秋茄子が積まれていて、値札に「昨日入荷」と手書きしてある。おばさんに「いいの選んでいい?」と聞くと「どうぞどうぞ、今日は特にいいよ」と言ってくれた。三本を手に取って袋に入れてもらった。二百八十円。持ち上げるとずっしりと重く、皮の色が深い紫で艶があり、指で弾いたら音がしそうなくらい張りがある。旬のものは手応えから違う、と思いながら袋を提げた。帰り道に豆腐屋の前を通ったら「今日の木綿、残り少ないよ」と声をかけられたので一丁追加した。商店街を歩くとこういう偶然の買い物が起きる。リストにないものを持ち帰る土曜の朝が、一週間でいちばん好きな時間かもしれない。今日はもともと茄子だけの予定だったのに、木綿豆腐まで加わった。それでいい。
本当は直火の焼き茄子にするつもりだった。皮に焦げ目をつけて、水につけて剥いて、生姜醤油でさっぱりと食べる、あれだ。ところが台所に戻ったとき、気づけばフライパンに油を引いていた。なぜそうしたのか自分でもよくわからない。もう仕方ないと縦に割って切り口に細かく格子を入れ、油を少し多めにして切り口を下にして並べた。ここで失敗した。中火のつもりが強火に近かったらしく、外側がシュッと焼き色づく前に格子の角が先に焦げ始めた。慌てて弱火に落として蓋をし、じっくり蒸らした。茄子がじわじわと油を吸い込んでいくのを蓋越しに感じながら待った。色はやや濃いめになったが、箸を入れると割れる感触がなく、しっとりと沈む。出来上がりは当初の予定とはかなり違うものになったけれど、漂う香りはいい。
箸で持ち上げると、フワリとした柔らかな重みがある。口に入れると皮がとろりと溶けて舌の上に広がり、力を入れなくても果肉がほろりとくずれた。噛むほどに茄子の甘みが奥から出てきて、出汁醤油と生姜おろしを合わせたタレの塩気がじわりと後を追う。後味は長く、口の奥に土っぽい余韻がぼんやりと残る。外側は濃い味で、内側はやさしい。焦げた部分は少しビターで、それが内側の甘みと合わさって深みになっていた。失敗でできた二層の食感の差が、むしろ面白い結果になった。最初から狙っていたら、きっとこうはならなかった。残ったタレを豆腐にかけて一緒に食べたら、茄子の甘みが豆腐にも移るような感じがあって、これもよかった。
祖母が福井の家で夏の終わりに作る焼き茄子は、炭の匂いがした。台所でいつも同じ位置に立って、背中から見ていた。皮を手で剥くと、糸を引くように繊維がのびて、そのまま生姜醤油だけで食べた。祖母の手は速かった。皮を剥き終えるまで、茄子はほとんど冷めなかった。あの透明な甘みには今でも届かない。炭の蓄熱と、祖母の手際の速さと、福井の夏の終わりの空気が合わさっているのだと思う。それは再現できないものだとわかっていても、茄子を買うたびに引き寄せられるように思い出す。でも今日の一皿にも、茄子の芯はちゃんとあった。材料が良ければ、少しくらいの失敗は吸収してくれると、毎回確かめている気がする。
来週こそ直火で焼いてみる。魚焼きグリルを棚の奥から出しておかなければ。今日のタレの配合は少し記しておく。週の半ばにもう一度、八百屋に寄っておこう。
#家ごはん #秋茄子 #台所メモ #食日記