ごま油が温まりはじめると、台所の空気がすこし甘くなる。夕方の六時、世田谷の一軒分だけの台所で、鉄のフライパンがじわりと熱を持ちはじめた。まだ茄子を切ってもいないのに、もう料理が始まった気がした。窓の外では蝉の声がまだ続いていて、八月の夕暮れはなかなか暗くならない。
今日の茄子は商店街の角にある八百屋「みつや」で買ったもの。店先で「これ、群馬から直送だよ。皮が薄くてやわらかいから、火を通しすぎると溶けちゃうよ」と言われた。三本で二百八十円。八月に入ってから、みつやの棚には毎朝こういう夏野菜が並ぶ。茄子、オクラ、さやいんげん、ゴーヤ。どれも色が深くて、持つと重い。今日はその茄子を甘味噌炒めにしようと決めていた。帰り道、紙袋の中で茄子がかすかにぶつかる音が妙に心地よかった。
縦に四つ割りにして、断面に塩をふる。水が出るまで十分ほど待って、キッチンペーパーで丁寧に拭く。このひと手間が、炒めたときの油はねを減らす。祖母は福井でいつもこうしていた。「茄子は水が命よ」と言いながら、手のひらで茄子を軽く押さえて、滲み出る水分を見ていた。その言葉と手の動きが、今もなぜか自分の手に残っている。祖母の台所は広くて、いつも何かが煮えていた。夏の終わりに行くと、茄子の漬物と冷たい麦茶が必ず出てきた。そういうことが、ふとした瞬間によみがえる。
フライパンに油を引いて、火にかける。ここで失敗した。弱火で始めるつもりが、うっかり強火のまま茄子を入れてしまった。シャッと音を立てて油が跳ね、皮がトロリとやわらかくなる前に、切り口が焦げ色に変わってしまった。慌てて日本酒を大さじ一杯ほど加えると、白い蒸気がふわっと立ちのぼり、フライパンの底が一気に潤った。茄子がもう一度、ほうっと息をついた感じがして、少し安心した。蒸気に手をかざすと、酒と茄子の青い香りが混ざって鼻を抜けた。
そこに合わせ味噌、みりん、少しの砂糖、それと擦りおろした生姜をひとかけ分。全体をからめて、蓋をして一分。蓋を開けると、味噌の発酵した甘い香りと、焦げた茄子のわずかにスモーキーな匂いが混ざって、思いがけず複雑な香りが上がった。これは悪くない、と思った。
箸でひとつ取って口に入れると、まず皮のあたりからじわりと油の丸みが広がる。噛むと、ほろりと繊維がほどけて、焦げの苦みと味噌の甘みがほぼ同時にやってくる。もったりと重い旨みのあとに、生姜がすうっと通って口の中が涼しくなった。後味は短い。夏の料理はそれでいいと思う。白いご飯に乗せると、それだけで一食になった。
焦げは失敗のつもりだったけれど、日本酒で蒸したことで生まれたわずかなスモーキーさが、甘い味噌にちょうどよい引き締めをあたえていた。祖母なら「火が強かったね」と笑いながら、それでも全部食べてくれたと思う。残りは小さな容器に入れて冷蔵庫へ。明日の朝、冷えた状態でもう一度味を確かめてみる。翌日の冷めた甘味噌炒めは、炒めたてとはまた別の顔をしているから。失敗はきちんと記録しておく。次は最初から中火で、茄子を焦がさずトロリと仕上げること。それが今日の台所メモ。
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