今日、整理番号の付け直し作業の途中で、享保十三年(一七二八年)奥付の油商帳簿を手にした。丹波のある業者が残したもので、菜種油、胡麻油、亜麻仁油の仕入れ値と数量が、細かい楷書で几帳面に並んでいる。今回の整理対象の中心にある史料ではなく、通し番号を記入して棚に戻すだけのつもりだったのだが、表紙をめくったとき、裏面に薄い墨で何かが書かれているのが目に入って、思わず手が止まった。閉架の中は静かで、換気扇の低い音だけが続いていた。
「おはん 卵一つ 文三」
帳簿本体の筆致とは明らかに別の手だ。字が細く、線が揺れていて、墨の濃さも一定でない。大人の字にしては線が細すぎるようにも見えた。急ぎで書いたのか、筆に不慣れな人間が書いたのか、今日の時点ではどちらとも言えない。ただひとつ確かなのは、これは記録として残そうとした文字ではないということだ。帳簿の本文——油の銘柄と値と数量が几帳面に並ぶあの列——とは、明らかに違う文脈で書かれている。誰かが、帳簿の空白を使って何かを書きつけた。それだけのことが今日分かっている。手放したくなかったが、作業があったので棚に戻した。
「おはん」が誰を指すのかが分からない。女性の名前のように見えるが、確証はない(推測)。「お春」か「お半」か、あるいはまったく別の読みがあるのかも不明だ。この油商の家族構成を示す史料は、少なくとも今日の範囲では手元になかった。「文三」という値については、享保期の京の物価を記した商家日記によれば、卵一個として極端に高くも安くもない数値だ。ただしそれは上方の相場であって、丹波の農村部では異なる水準だった可能性がある(仮)。同時期の丹波の物価史料は手元にないため、今日のところは判断を留保する。こんなふうに、分かることと分からないことを並べていると、「おはん」という人物の輪郭がどんどんぼやけていく。そのぼやけ方が、今日はなぜか気になった。
帳簿自体の状態は比較的よかった。表紙の一部に虫損があるが、本文には及んでいない。こういった帳簿類は、誰かが意図して保存したのか、偶然に引き継がれてきたのか、経緯が分からないことが多い。今回の帳簿がどうやってこの大学の所蔵に入ったのかも、受入記録を確認していないため今日は不明だ。受入台帳には来歴が記されているかもしれないし、何も書かれていないかもしれない。明日、受入台帳を調べる予定にした。丹波関係の物価史料に何があるかも、ついでに見ておこうと思っている。
帳簿の余白というのは、正式な記録の外側にある。試し書き、走り書きの覚え、子どもが勝手に書き入れたもの——その多くは、保存する意図なしに偶然残ってきた。書いた人間は、三百年後に他の誰かがそれを読むとは想定していなかっただろう。今日の午後、閉架の蛍光灯の下でその一行を見ていて、奇妙な場違い感があった。この仕事を何年続けても、他人の無意図の痕跡を読む瞬間には、どこか後ろめたいような感触が残る。もっとも、この感触自体が読みすぎかもしれない。
昼休みに鴨川の土手に出た。七月初めにしては川風が涼しく、土手の石がひんやりしていた。ノートに「おはん 卵一つ 文三」と鉛筆で書き写してから、しばらく川面を見ていた。享保十三年の七月がどんな夏だったかは、今日は確認できていない。当年の気候を記した記録は断片的に存在するが、丹波の七月に絞った記述はすぐには出てこない。暑かったかもしれないし、冷夏だったかもしれない。「おはん」がどんな顔をしていたかも分からないし、その卵がどこへ行ったかも分からない。七月の川風が涼しかったこと、それだけが今日の私にとって確かなことだと思いかけて、それも思い込みかもしれないと思い直した。鴨川の水音は、いつもより静かに聞こえた気がした。
分からないことが多い一日だった。帰り際、棚に戻したあの帳簿の背表紙を、もう一度確認してから外に出た。
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