昨夜、帰宅して麦茶に氷を入れたら、コップの中でパチパチと断続的な音がした。毎晩やっていることなのに、昨夜はなぜか手が止まった。音が出るたびに氷の表面を見ると、白っぽい筋のようなものが広がっている気がするが、暗いキッチンではよく見えない。
疑問をひとつに絞る。「冷えた氷を常温の液体に入れたとき鳴るパチパチ音は、何から来るのか」。
まず観察を整理する。音は投入直後が最も激しく、1〜2分で収まる。氷が少し溶けてからもしばらく続く場合がある。麦茶の代わりに普通の水でも試したが、冷たい水(5°C程度)に入れると音がほとんど出なかった。ぬるま湯(40°C程度)では明らかに激しくなった。温度差が大きいほど音が激しくなる傾向は繰り返し確認できた。これは推測の域を出ないが、熱が主な原因だろうという見当はつく。
関係する原理は、おそらく熱応力(thermal stress)だ。熱応力とは、物体の内部で温度分布が不均一になったとき、各部位の膨張・収縮の差によって生じる内部応力のことである。冷凍庫の氷(−15°C前後)を20°C以上の飲み物に入れると、表面は急速に昇温するが内部はしばらく冷たいまま。外側が「膨らもうとする」のに内側が抵抗するこの引っ張り合いが亀裂の起点になると考えられる。亀裂が走るとき、その先端は弾性波(acoustic emission)を放出し、水と空気を経由して鼓膜を揺らす——これが「パチパチ」の正体だ、というのが自分の理解だ。ただし「亀裂がないのに音がした」という印象は何度かあって、ここの対応関係はまだ自信がない。暗い台所で亀裂を見逃しているだけかもしれない。
数値でオーダーを確認する。氷の線熱膨張係数は約 5×10⁻⁵ K⁻¹(一般的な物性の教科書値)。表面と内部の温度差を 35 K とすると、熱ひずみ ε ≈ 5×10⁻⁵ × 35 ≈ 1.75×10⁻³。氷のヤング率を約 10 GPa とすると、発生する応力 σ = Eε ≈ 17 MPa のオーダー。氷の引張強度は文献によってばらつくが、多くの場合 1〜3 MPa 程度とされている(荷重速度や結晶方向で大きく変わるため、ここは確かなことが言いにくい)。いずれにせよ、熱応力が引張強度と競合しうるオーダーにある、という見立ては妥当だと思う。
もう一点気になっているのは、音が断続的になる理由だ。亀裂が走るたびに局所の応力が解放され、次の亀裂が起きるまでに新たな熱伝導と応力蓄積が必要になる。氷の熱拡散率は約 10⁻⁶ m²/s 程度。厚み 1 cm なら拡散の時間スケールは L²/α ≈ (10⁻²)² / 10⁻⁶ = 100 s。これはパチパチ音が続く時間とオーダーが合う。この部分は自分の推測だが、数値感覚は悪くないと思っている。
仕事では信号処理が中心で、熱応力を直接計算することは少ない。ただ、材料部門との打ち合わせで疲労亀裂の話が出るたびに、同じ教科書の式が頭に浮かぶ。台所のコップと工場の金属部品で、スケールとエネルギーの桁だけが違う。こうして帰宅後に手を動かして計算してみると、仕事で半ば抽象化されていた物理が少し具体性を取り戻す気がして悪くない。
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