朝、コーヒーを二杯目に手を伸ばしかけたとき、ふと止まった。
昨夜の十一時すぎに緑茶を一杯飲んだ。それが今朝に影響しているかどうかはわからない。ただ、目が覚めたとき、肩がすでに上がっていた。これは身体感覚として確認できたことだ。気分は「重い」ではなく、「準備ができていない」に近い言葉がしっくりきた。考え事は特になかった——夜中に何かを解決しようと頭を回していた記憶もない。それでも肩は張っていた。なぜ張っているのかは、今日一日かけても分からないままかもしれない。
そこで二杯目を止めた。理由というよりは、反射的に。
今週、カフェインの摂取タイミングを記録する小さな実験をしている。始めたきっかけは先週の火曜日、夕方に濃いコーヒーを飲んだ翌朝に目がやけに乾いていて、それが単なる偶然なのか何らかの傾向なのか確かめたくなったからだ。自覚しやすい睡眠の質よりも、起床直後の身体感覚の方が正直かもしれないと思い、そこを指標にすることにした。
実験メモ(第3日)
- 仮説:午後三時以降のカフェインが翌朝の身体的な「構え」に影響している
- 期間:六月一日(月)〜七日(日)の一週間
- 確認方法:起床直後の肩・呼吸・胃の状態を三段階でメモ(1=普通、3=張っている)
- 今日の所感:昨夜は二十三時に緑茶。今朝の肩は「3」。三日分のデータではまだ判断できない。
一杯だけにして、窓際の椅子に座った。呼吸は三回ほどで落ち着いた。気分はまだ「準備ができていない」のままだったが、それはそれでいい——いや、「いい」というより「そういうものだ」と置いた、と言うほうが正確かもしれない。判断をいったん棚に上げた、というニュアンス。気分に対して「これでいい」と言うのは、どこか操作のように感じることがある。
今日は集中と退屈が交互に来る日の入り口にいる感じがした。思考が何かに噛み合おうとして、うまく掴めない。これは焦りではない。焦りのときは胃に圧がある。今日はそれがなくて、むしろ目が少し疲れている——まだ画面を見る前から、すでに。そういうとき、無理に集中を作ろうとすると、午後になってから反動が来ることを経験上知っている。かといって、何もしない時間を「回復のための休息」として意味づけるのも何か違う。意味をつけた瞬間に、それは別のタスクになってしまう気がする。
ここ数日、言葉にしないでおく時間について気になっている。何かを感じたとき、すぐに言語化しようとする癖がある。日記を書いていると特にそれが強まる。でも言葉にする前に少し置いておくと、最初に浮かんだ言葉とは別の何かが出てくることがある。それが正確かどうかも定かではないが、少なくとも急いでつけた名前よりは馴染む気がする。今日の肩の張りも、まだ名前をつけない方がいいのかもしれない。
自問を一つ。この「準備ができていない感覚」は、実際に何かが不足していることを示しているのか、それとも身体がただまだ動き出していないということに過ぎないのか。
今日はそれをはっきりさせないまま午前中を過ごしてみる。昼ごろ、もう一度肩の位置を確認する。
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