油が跳ねる乾いた音がした瞬間、茄子の断面から白い蒸気が勢いよく立ちのぼった。台所の小窓を少し開けていても、甘くかすかに焦げた香りはすぐに部屋の隅まで広がる。九月に入って湿気が少し抜けてきたせいか、今日...
油が跳ねる乾いた音がした瞬間、茄子の断面から白い蒸気が勢いよく立ちのぼった。台所の小窓を少し開けていても、甘くかすかに焦げた香りはすぐに部屋の隅まで広がる。九月に入って湿気が少し抜けてきたせいか、今日...
油の跳ねる音から、始まった。 今日は茄子を三本、世田谷の商店街の八百屋で買った。店頭に並ぶものはどれも艶があって、紫が深い。おじさんに声をかけたら「群馬の朝どりだよ、今が一番いい」と言ってくれた。一本...
蒸し暑さが戻ってきた夕方、フライパンに油を引いた瞬間に、ニンニクの薄切りがジュッと鳴った。その音だけで、体が少し前のめりになる。 今日の晩ごはんは、茄子とパプリカの南蛮漬け。材料は昼に三軒茶屋の八百屋...
ごま油が温まりはじめると、台所の空気がすこし甘くなる。夕方の六時、世田谷の一軒分だけの台所で、鉄のフライパンがじわりと熱を持ちはじめた。まだ茄子を切ってもいないのに、もう料理が始まった気がした。窓の外...
鍋に湯を沸かしたとたん、台所に青い香りがふわりと立ちこめた。今朝、商店街の八百屋で買ってきたそら豆だ。「もう今週で終わりかもしれんよ」と店主のおじさんが笑いながら言っていたから、迷わず四さやつかんだ。...
換気扇をかけた台所に、朝から湿った空気が入り込んでいる。七月の世田谷は梅雨が明けてからも蒸し暑さが続いていて、窓を開けても風がほとんど動かない。冷蔵庫の野菜室を開けると、昨夜仕込んだ鰹だしの香りがふわりと漂い、その奥に南紀産の小ぶりなすが二本、静かに転がっていた。昨日の朝から使うつもりで買ったのに、皮の艶がよくて触るのを惜しんでいた。今日の昼はこれで作ろうと決める。
土曜の午前中、商店街の吉田青果に少し早めに寄った。店先には夏野菜が箱ごと積まれていた。ゴーヤ、オクラ、とうもろこし、そして今日のなす。顔なじみのおばちゃんが「今日のなすは朝取りだよ。皮が薄いから短時間で火が通る。早めに使ってね」と声をかけてくれた。受け取ると、ずっしりとした水分の重さが指先に伝わってくる。藍紫の皮は艶よりも質感に存在感があり、ひんやりと冷たかった。七月に入ってから急に湿度が上がって、なすの水分量がいっそう増した気がする。旬の野菜は、店先での会話ごと味がすると最近よく思う。帰り道、すだちと枝豆を少し買い足した。
なすを縦半分に切り、断面に格子状の隠し包丁を細かく入れる。切り目を入れると火の通りが早まり、油が染み込みやすくなる。ごま油を薄くひいたフライパンに切り口を下にして並べ、中火で焼き始めた。ところがスマホの通知に気を取られて、うっかり強火のまましばらく放置してしまった。気づいたとき、端の皮が少し焦げ始めていた。慌てて火を落とし、鰹だしと薄口しょうゆを合わせた煮汁を大さじ一ほど加えてから蓋をし、弱火で二分ほど蒸らした。失敗だと思ったが、蓋を取ってみると焦げた部分がほろりとほどけていた。強火で先に旨みを閉じ込めたようになったのかもしれない。
蓋を開けた瞬間、なすの青くさい香りとごま油の丸い香りが合わさって台所に広がった。箸の先で触れるとすうっと沈み込み、持ち上げようとすると皮がほろりとくずれそうになる。口に入れると、まず皮がとろりと解けて、次に奥の果肉がじわりと舌の上に広がってくる。噛むほどに甘みが深まって、だしの旨みが後ろから静かに追いかけてくる。後味はすっきりと短く、満腹というよりも、もう少し続きがほしいまま終わる。焦がした分だけ断面に甘みが凝縮されたような気がして、失敗とは呼びにくい。偶然に救われた料理が一番うまいと、今日もそう思った。
祖母が福井でよく作っていた焼きなすは、七輪の炭火で皮が真っ黒になるまで焼いてから、水に当てながら手でむくやり方だった。夏休みに遊びに行くたびに縁側からその手元を眺めていた。剥いたなすに、だしと生姜をきかせたさらりとしたたれをかけて食べた。素材そのものの味で十分だと教えてもらったのは、あのころの食卓からかもしれない。私のはフライパン仕上げで邪道だが、とろりとほどける食感だけは、あの夏の午後に少しだけ近い。なすは、記憶の味がする野菜だと思う。
仕上げに削り節をひとつまみのせ、すだちを半分絞った。切り口からすうっと酸味が鼻を抜ける。窓の外では蝉がうるさく、正午前の光が強くなっていた。一人暮らしのなす料理は、一本で十分だった。残った一本は明日の朝、みそ汁に入れようと思っている。昨日と今日、同じ野菜から違う味を引き出せるのが、一人分の料理の面白さだと思う。
#家ごはん #旬の食材 #なす料理 #台所メモ