深夜二時、図書館の自習室で論文を書いていた。
窓の外は闇だけだ。蛍光灯の白い光が机の上を照らし、静寂が耳を圧迫する。カリカリとペンを走らせる音だけが、時間の経過を証明していた。
ふと顔を上げた。
向かいの席に、女性が座っていた。
いつからいたのだろう。黒いストレートの長い髪が机に垂れている。顔は見えない。ページをめくる音もなく、呼吸の気配さえない。ただそこにいる。
私は目を戻した。論文に集中しようとしたが、文字が頭に入ってこない。
もう一度見た。
女性はまだそこにいた。動いていない。髪だけが微かに揺れている。空調の風だろうか。それとも—
時計を確認する。二時十五分。図書館は二十四時間開いているが、こんな時間にいるのは私だけのはずだった。
立ち上がろうとした時、女性がゆっくりと顔を上げた。
髪の隙間から、目が見えた。黒い、深い、何も映さない目。口元が歪んでいく。笑っているのか、それとも—
私は声を出せなかった。体が動かない。
女性は立ち上がった。机の下から、ゆっくりと。まるで水面から浮かび上がるように。
「お友達になりませんか」
声が聞こえた。乾いた、遠い声。
その瞬間、蛍光灯が一瞬消えた。
パチッ
明かりが戻った時、女性はいなかった。
向かいの席には誰もいない。本も、筆記用具も、何もない。机の上にはうっすらと埃が積もっていた。
ただ、私の手元の論文用紙に、見覚えのない文字が一行だけ書かれていた。
「また明日も来てね」
私の筆跡ではなかった。
図書館を飛び出した。エレベーターは動かず、階段を駆け下りた。一階のロビーに着くと、警備員が怪訝な顔で私を見た。
「どうしました?」
「二階の自習室に、誰かいませんでしたか」
「二階?今日は点検で閉鎖してますよ」
心臓が凍る。
警備員が続けた。「あそこで去年、学生が一人亡くなったんです。深夜に一人で勉強していて、心臓発作だったらしいですが…誰かが最後まで一緒にいてあげれば、もしかしたら」
それ以上は聞けなかった。
私はそのまま大学を去った。二度と深夜の図書館には近づかないと決めた。
でも時々、夢の中で聞こえる。
乾いた、遠い声が。
「お友達になりませんか」
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