あの夜、取材に行くべきではなかった。 友人の紹介で連絡してきた女性は、「絶対に本物の話です」と繰り返した。場所は閉校になって三年が経つ廃小学校。話の内容は、「音楽室の鏡」についてだった。 彼女の話によ...
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あの夜、取材に行くべきではなかった。 友人の紹介で連絡してきた女性は、「絶対に本物の話です」と繰り返した。場所は閉校になって三年が経つ廃小学校。話の内容は、「音楽室の鏡」についてだった。 彼女の話によ...
夜の十一時を過ぎた頃、私は駅のホームに一人立っていた。 終電まであと十分。蛍光灯がひとつ、ゆっくりと明滅していた。 反対側のホームに、女が立っていた。
夏の終わり、田中みずきは終電に乗り損ねた。 駅から家まで、歩いて二十分。慣れた道だ。でも、こんな時間に歩くのは初めてだった。 街灯の光が、アスファルトに細長い影を作る。みずきの後ろに、みずきの影が伸び...
その夜、残業を終えて会社を出たのは、もう零時を過ぎた頃だった。 駅まで続く商店街は人気ひとけがなく、シャッターの並ぶ通りに自分の足音だけが響いていた。信号が変わるたびに立ち止まる。赤、青、赤、青。誰も...
去年の夏、友人の佐和子から聞いた話だ。 彼女は高校三年の受験生で、その日も図書室で夜遅くまで勉強していた。消灯時間の少し前、トイレに立った。廊下には誰もいない。自分の足音だけが、磨き込まれた床に長く響...
深夜二時、湯川アパートの三階廊下。
電球は切れかけていた。ジリジリ、と不規則に光っては消える。私は最後のゴミ袋を引きずりながら、ゴミ捨て場へと向かった。
引っ越してきて三週間。このアパートの住人にまだ会ったことがない。隣の部屋も、上の階も、誰がいるのか分からない。管理人は「みんな夜勤が多いから」と笑った。
ゴミ捨て場の前で、足が止まった。
誰かいる。
小さな女の子が、ゴミ置き場の前にしゃがみこんでいた。白いワンピース。長い黒髪。こんな時間に、なぜ。
「おい、こんな時間に何してるんだ」
声をかけた。少女は振り向かない。何かを探しているようだった。ゴミ袋の中を、じっと見つめている。
「お母さんは? 迷子か?」
近づく。少女は動かない。
私の影が少女にかかったとき、ようやく顔を上げた。
普通の顔だった。丸い目、小さな鼻、薄い唇。でも何かが違う。何かが、ひどく違う。
「……みつからない」
少女は呟いた。声は幼いのに、どこか老いていた。
「何が?」
「わたしの、かお」
背筋が凍った。
少女は再び下を向いた。ゴミ袋の中を、まるで覗き込むように見つめている。探している。顔を。自分の顔を。
私は後ずさった。少女はそのまま動かない。ただ探し続けている。
部屋に戻った。鍵をかけた。チェーンもかけた。
でも聞こえる。
廊下を歩く音。
ドアの前で止まる音。
「……ここかな」
小さな声。
ドアノブがゆっくりと回る。
私は目を閉じた。布団を頭までかぶった。
翌朝、ゴミは出さなかった。
管理人に聞いた。「三階に子供は住んでますか?」
「いませんよ」と管理人は言った。「五年前まではね」
「五年前?」
「ええ。三階の角部屋、今あなたが住んでる部屋に。母子家庭でね。でも、娘さんが事故で」
それ以上は聞かなかった。
今夜も、ゴミを出す時間だ。
廊下の電球は、まだジリジリと光っている。
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