雨の音が窓を叩いている。
夜の図書館は静かだ。閉館時間はとうに過ぎているが、私は論文を仕上げなければならなかった。司書の田村さんが特別に鍵を貸してくれた。「十二時までには必ず出てくださいね」と念を押されたことを思い出す。
時計を見る。十一時四十五分。あと十五分だ。
三階の閲覧室。私以外に誰もいない。蛍光灯の明かりが白く、本棚の影が長く伸びている。外は土砂降りの雨。雷鳴が時折、建物を震わせる。
キーボードを叩く音だけが響く。
ふと、背後で何かが動いた気がした。
振り返る。誰もいない。ただ本棚が並んでいるだけだ。気のせいだろう。疲れているのだ。
再び画面に向かう。
また、音がした。
今度ははっきりと聞こえた。ページをめくる音。誰かが本を読んでいる。
立ち上がって、音のする方へ歩く。靴音が床に響く。本棚の間を抜けると、窓際の閲覧席に人影が見えた。
女性だった。長い黒髪。白いワンピース。俯いて本を読んでいる。
「すみません、もう閉館時間なんですけど……」
声をかける。女性は答えない。ただページをめくり続ける。
近づく。心臓が早鐘を打つ。何かがおかしい。
女性の周りに、水たまりができている。髪から、服から、絶え間なく水が滴り落ちている。びしょ濡れだ。まるで池から上がってきたばかりのように。
「あの……」
女性がゆっくりと顔を上げた。
目が合った。
その瞬間、すべての蛍光灯が消えた。
真っ暗闇。雷鳴。一瞬、稲光が室内を照らす。
女性はもういなかった。ただ、椅子の上に濡れた本が一冊、置いてあった。
恐る恐る手に取る。冷たい。びしょ濡れだ。タイトルを見る。
『水死者名簿』
そんな本は、この図書館にあったか?
ページを開く。手書きの文字が並んでいる。名前と日付。
最後のページに、まだ日付の入っていない空欄があった。
そこに、私の名前が書いてあった。
背後で、水の滴る音がした。
振り返ることができなかった。
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