雨の日は、いつもこの道を通らないことにしている。
けれど今日に限って、定期の路線バスが運休していた。迂回路を使うしかない。傘を差し直して、私は薄暗い住宅街へと足を踏み入れた。
細い路地が入り組んでいる。古びた木造の家々が立ち並び、人の気配はない。雨音だけが、やけに大きく耳に届く。
角を曲がった瞬間、視界の端に何かが映った。
小さな女の子が、傘も差さずに立っている。濡れた黒髪が顔に張り付いて、表情は見えない。白いワンピースが雨に濡れて、体に貼りついている。
「大丈夫?」
声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。目が合う。いや、目があったような気がした。顔の輪郭がぼやけて、はっきりと見えない。
「お母さんは?」
返事はない。ただ、じっと私を見ている。そして、小さく口を開いた。
「……一緒に、来て」
声が聞こえたのか、頭の中に直接響いたのか、よくわからなかった。彼女は細い腕を伸ばして、私の手を掴もうとする。
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
彼女の手首から先が、ない。
腕の先端がぼんやりと霞んで、輪郭が溶けるように消えている。雨粒がそこを通り抜けて、地面に落ちていく。
私は反射的に後ずさった。傘が傾いて、雨が顔にかかる。視界がぼやける。一瞬、目を瞬いた。
次に目を開けたとき、そこには誰もいなかった。
雨音だけが、変わらずに降り続いている。
立っていた場所には、小さな水たまりだけが残されていた。けれど、そこだけ妙に深く見える。底が見えないほど、暗く、深い。
私は急いでその場を離れた。走って、走って、大通りに出るまで振り返らなかった。
今でも雨の日になると、あの路地のことを思い出す。あの子は、誰だったのだろう。それとも、誰でもなかったのだろうか。
一つだけ確かなのは、もう二度と、あの道を通る気にはなれないということだ。
そして時々、夢の中で聞こえる。
「……一緒に、来て」
雨音に紛れて、小さく、繰り返される声。
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