親戚の家で一週間、留守番を頼まれた中林明子が、庭の井戸に気づいたのは到着した夜のことだった。 古い一軒家だった。最寄り駅から二十分ほど歩いた住宅街の、さらに奥まった場所にある。周囲の家々はどれも建て替...
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親戚の家で一週間、留守番を頼まれた中林明子が、庭の井戸に気づいたのは到着した夜のことだった。 古い一軒家だった。最寄り駅から二十分ほど歩いた住宅街の、さらに奥まった場所にある。周囲の家々はどれも建て替...
深夜の帰り道で、佐々木みゆきが自分の足音の異変に気づいたのは、十一月の初旬のことだった。 地下鉄の最終電車を降りると、外気はひどく冷えていた。吐く息が白く流れる。駅からマンションまで、徒歩で十分ほどの...
放課後の教室は、静寂がまるで固体のように積み重なっている。 田中由樹が数学の補習を終えたのは、夜の七時を回ったころだった。窓の外はすでに完全に暗くなっていて、廊下の蛍光灯もいくつか落ちていた。足元に影...
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夜の十一時を過ぎた頃、私は駅のホームに一人立っていた。 終電まであと十分。蛍光灯がひとつ、ゆっくりと明滅していた。 反対側のホームに、女が立っていた。
影が、遅れている。
山田京子がそれに気づいたのは、十月の末、残業を終えて帰る夕暮れどきのことだった。オフィスビルの前の歩道を歩いていると、街灯がぽつりぽつりと灯り始めた。秋の夜は早い。午後五時を過ぎるともう空が暗み始め、アスファルトに自分の影が細く伸びている。
ふと足元を見たとき、京子は立ち止まった。
影が、一拍遅れて止まった。
目の錯覚だと思った。残業続きで目が疲れているのか、光の当たり方がそう見せているのか。もう一度歩いた。影はついてくる。だが何かが——ほんの少し、ずれている気がした。
翌朝、駅の白い蛍光灯の下で確かめた。影はくっきりと床に映っている。ゆっくりと手を上げると、影の手も上がる。次に右足を踏み出した。
影は、左足から踏み出した。
見間違いかもしれない。電車のドアが閉まり、京子は自分にそう言い聞かせた。
だが三日後、同僚の田辺がランチに誘ってこなくなった。理由を聞くと、田辺は少し間を置いてから言った。
「なんか最近……山田さんの後ろに、誰かいるみたいで」
「誰か?」
「ううん、なんでもない。気のせい」
それきり、田辺は目を合わせなくなった。
職場の他の人々も、少しずつ距離を置くようになっていった。具体的な理由を言う人はいなかった。ただいつの間にか、昼休みに声をかけられなくなり、退勤後の飲み会に誘われなくなった。廊下ですれ違うとき、相手の視線が一瞬、京子ではなく——京子の後ろに向いてから、慌てて逸らされる気がした。
一週間が経ったころ、京子は影を観察することをやめた。見ないほうがいいと思った。何かを知ってしまえば、もとに戻れない気がした。だが見ないでいると、今度は影のほうが自分を見ていると感じるようになった。
背中に、視線がある。
振り返っても、誰もいない。
夜中に一人でいると、壁に映る自分の影が少しだけ大きく見えた。輪郭が、自分の形と——一致していない気がした。肩のあたりが、わずかに盛り上がっているような。何かが乗っているような。
ある夜、思い切って正面から鏡の前に立った。
鏡の中の自分は、普通に立っていた。肩にも、何もない。
だが、鏡の向こうの壁に落ちた京子の影には——小さな手が、肩の上に置かれていた。細い指が、五本。
その手は、動いていなかった。ただそこに、あった。
京子はゆっくりと鏡から目を逸らした。
翌朝から、鏡は布で覆った。
影には、もう気づかないことにした。気づかなければ——きっと、何も起こらないはずだから。
エレベーターのドアが閉まる瞬間、内側の鏡に自分の後ろ姿が映った。京子は下を向いたまま、そちらを見なかった。
ドアが開いて、京子は歩き出した。
廊下に、影が伸びる。
一拍遅れて、もう一つの影が続いた。
#怪談 #ホラー #都市伝説 #影