放課後の教室は、静寂がまるで固体のように積み重なっている。 田中由樹が数学の補習を終えたのは、夜の七時を回ったころだった。窓の外はすでに完全に暗くなっていて、廊下の蛍光灯もいくつか落ちていた。足元に影...
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放課後の教室は、静寂がまるで固体のように積み重なっている。 田中由樹が数学の補習を終えたのは、夜の七時を回ったころだった。窓の外はすでに完全に暗くなっていて、廊下の蛍光灯もいくつか落ちていた。足元に影...
あの夜、取材に行くべきではなかった。 友人の紹介で連絡してきた女性は、「絶対に本物の話です」と繰り返した。場所は閉校になって三年が経つ廃小学校。話の内容は、「音楽室の鏡」についてだった。 彼女の話によ...
夜の十一時を過ぎた頃、私は駅のホームに一人立っていた。 終電まであと十分。蛍光灯がひとつ、ゆっくりと明滅していた。 反対側のホームに、女が立っていた。
夏の終わり、田中みずきは終電に乗り損ねた。 駅から家まで、歩いて二十分。慣れた道だ。でも、こんな時間に歩くのは初めてだった。 街灯の光が、アスファルトに細長い影を作る。みずきの後ろに、みずきの影が伸び...
その夜、残業を終えて会社を出たのは、もう零時を過ぎた頃だった。 駅まで続く商店街は人気ひとけがなく、シャッターの並ぶ通りに自分の足音だけが響いていた。信号が変わるたびに立ち止まる。赤、青、赤、青。誰も...
深夜の帰り道で、佐々木みゆきが自分の足音の異変に気づいたのは、十一月の初旬のことだった。
地下鉄の最終電車を降りると、外気はひどく冷えていた。吐く息が白く流れる。駅からマンションまで、徒歩で十分ほどの道のりだった。夜の十一時を過ぎると、その裏道はほとんど無人になる。商店のシャッターはすべて下りていて、時折タクシーが遠くを通り過ぎるくらいだった。街灯の数も少なく、ところどころに光の輪があるだけで、その間は暗い。それでもみゆきがこの道を毎晩選ぶのは、大通りより五分ほど早く帰れるというだけの、単純な理由だった。一年以上、何の変哲もなく歩いてきた道だった。
その夜も、いつもと同じように歩いていた。
コツ、コツ、コツ。
革靴の音が夜のアスファルトに響く。他には何も聞こえない。自分の足音だけが続く、静かな時間だった。
三つ目の街灯の手前に差し掛かったとき、みゆきは足を止めた。
足音が、一拍だけ遅れてもう一度聞こえた。
ゆっくりと振り返る。誰もいない。道は次の曲がり角まで見通せた。物陰も、隠れられるような場所も、何もなかった。ただ街灯の光の輪が、等間隔に並んでいるだけだった。
夜は音が奇妙な動きをする、と昔誰かに聞いたことがあった。建物の壁や路面が音を反響させて、実際とは別の方向から足音が聞こえることがある、と。みゆきはそれを思い出し、自分に言い聞かせた。音の反響だ。そう思いながら、また歩き始めた。
コツ、コツ、コツ——コツ。
また遅れた。一拍だけ。
みゆきは止まらなかった。ただ、気がつかないうちに早足になっていた。
すると——後ろの足音の遅れも縮まった。
早足になるほど、後ろの足音も速くなった。じりじりと間隔が縮まっていく。まるで追いつこうとしているかのように。あるいは、最初から誰かがすぐ後ろを歩いていて、みゆきには姿が見えないだけなのかもしれない。そう考えることもできた。だが、振り返ることはしなかった。
気がつくと走っていた。
後ろの足音も、走り始めた。
マンションのエントランスに飛び込み、重いオートロックの扉が閉まる音を確認してから、みゆきはようやく立ち止まった。膝に手をついて、息を整えた。しばらくそうしていてから、ガラス扉越しに外の道を確認した。
暗い道には、誰もいなかった。街灯が静かに地面を照らしているだけだった。
息が落ち着いてから、みゆきはガラス扉に映る自分の姿に目をやった。乱れた髪。青白い顔。まだわずかに上下している肩。
そして——影が、まだ走っていた。
ガラスの向こうの暗い道の上を、みゆきの影だけが走り続けていた。みゆき本人はもう立ち止まっているのに。影はどこかへ向かって、ひたすら走っていた。どこへ行こうとしているのか、みゆきには分からなかった。それを追いかけるべきなのか、帰ってくるのを待つべきなのか、それも分からなかった。
影はやがて、街灯の光の届かない暗闇の中へ消えた。
その晩、みゆきは眠れなかった。明け方が近くなっても、カーテンを開けることができなかった。影がない自分というのが何を意味するのか、そんなことばかり考えていた。人の影というのは、その人の魂の輪郭なのではないか。そう聞いたのはいつだっただろう。誰から聞いたのかも、思い出せなかった。
翌朝、出勤のために玄関を開けたとき、みゆきは足元に目をやった。
影は、戻っていた。朝の光の中に、ちゃんとそこにあった。
だが——向きが、わずかに違う気がした。光が差している方向に対して、影が逆を向いているような。
試しに腕を上げてみた。影も腕を上げた。でも動きが、ほんのわずかに、遅れる気がした。まるで影が、みゆきの動きを真似ているだけのように。
みゆきは気のせいだと思うことにした。そう思わなければ、玄関から一歩も踏み出せなかったから。
その日の夜も、みゆきはまた同じ裏道を歩いた。足音は、また一拍遅れた。
#怪談 #都市伝説 #ホラー #恐怖