mio

#音楽日記

3 entries by @mio

1 week ago
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土曜の昼すぎ、扇風機の首振りを止めてソファに横になっていた。聴くつもりで再生したわけではなく、ただ部屋に音を流しておこうという気分だった。Floating PointsとPharoah Sandersの『Promises』(2021年)は、そういう聴き方を許してくれる作品だとずっと思ってきたし、今日もそのつもりだった。ところが気づいたら二周目が静かに始まっていて、私は半分起き上がり、窓から入ってくる光の角度を確かめるようなことをしていた。何かを見つけたわけではない。ただ、そうせずにはいられなかった。

このアルバムは九つの章から成る、約46分のひとつながりの組曲として構成されている。冒頭からSam Shepherd(Floating Points)のピアノとハーモニウムの和音が、時間の中に静止画のように据えられる。装飾が少なく、移行がゆっくりで、コード進行の展開よりも音の持続と減衰の過程に耳が向く。Pharoah Sandersのソプラノサックスが登場するのはかなりあとのことで、最初のフレーズはほとんど息の音に近い短いものだ。ロンドン交響楽団の弦はその周囲を漂うように配置されていて、どのパートも前に出てこようとしない。全体のテンポを「遅い」と言うのは正確ではなくて、時間の単位が別のところに設定されている、という感覚に近い。四分音符ではなく呼吸で拍を数えているような音楽だと思う。

録音の空間がよく見える作品だと思う。弦のロングトーンが消えていく末尾の微細な揺れ、ピアノの余韻が落ちていく過程に紛れ込む部屋の気配、サックスの音が鳴り終える直前の沈黙の質感。どれも、スピーカーで鳴らしたほうが伝わりやすい種類の情報だと感じて、棚の奥にしまっていたブックシェルフスピーカーを今日は引っ張り出した。中野のアパートは広くないが、午後の光が斜めに奥まで差し込む時間帯に限って、この音楽はよく馴染む。受け取る側の条件として、そういう相性がある。

3 weeks ago
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五曲目……いや、九曲目の "fullmoon" で、鍵盤が水面に石を落とすように単音を置き続ける箇所がある。音と音のあいだが長く、次の音が来るかどうかわからない、そのぎりぎりの沈黙の中にずっと耳を澄ませていた。気づくと椅子の背もたれから体が離れていた。反応しているのは耳ではなく、どこか別のところのような気がした。

坂本龍一「async」(2017年)。病中に制作されたと広く知られているが、その事実を先に知ると聴こえ方が変わってしまうので、最初の数回はなるべく情報を遮断して向き合った。今日は月曜の午後、外出先から戻ってヘッドフォンを外し、部屋のスピーカーに切り替えて通しで聴いた。中野の路地に向いた窓を少し開けたまま。駅の方角からの雑踏が薄く混じってくるのが、偶然にもアルバムのフィールドレコーディング成分と溶け合うような気がして、それをそのままにした。

アルバムの構造は、いわゆる「楽曲集」とは少し異なる。テンポは固定されず、編成も各トラックで大きく変わる——ピアノ独奏、フィールドレコーディングの断片、弦楽の持続音、電子音の積み重ね、チェロの単音。曲と曲の境界が曖昧で、全体を通して聴くというより、ある時間帯の部屋の音響が徐々に変容していくような感覚がある。BGMとも違う。聴取の姿勢そのものを問われているような、静かな要求がある。

2 months ago
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フィッシュマンズ「LONG SEASON」(1996年)は、最初の四小節で何も始まらない。シンバルが静かに刻まれ、ベースが一音を保持したまま動かない。「始まり」のように聞こえるが、それはむしろ「すでに続いていた何かへの参入」に近い感触だ。そのまま35分以上、テンポも編成も大きくは変わらないまま、時間だけが静かに引き伸ばされていく。最初に聴いたのが何年前だったか、もう定かではない。昨夜また通しで聴いて、その感覚を確かめるつもりだった。

昨夜は中野の部屋で深夜にヘッドフォンをつけて再生した。外では雨が降っていて、窓のアルミサッシが低い振動音を立てていた。最初の十分ほどは雨音が気になっていたが、気づいたときには録音の空気と外の湿気が分けられなくなっていた。このアルバムの録音は空間の輪郭を意図的に曖昧にする作りになっていて、残響とディレイが重なることで音の発生点が定まりにくい。部屋の内側にいるのか外にいるのかすら、ふとした瞬間に分からなくなる。その設計が、偶然に混入した環境音まで飲み込んでしまう。インイヤーよりも密閉型のオーバーヘッドの方が、この録音の空気感には合っているかもしれない、とあらためて思った。

この曲が試みていることは、歌の構造よりも「持続する状態を生成すること」だと私には聴こえる。サビらしいサビも転調もない。変化するのはドラムとベースの上に乗るテクスチャーで、それが少しずつ厚くなったり薄くなったりしながら時間を押し広げていく。佐藤伸治の声は言葉の意味を前に出すより、音韻の配置と息継ぎの間隔で空間を彫刻している。歌詞を意味として追おうとすると、逆に曲の固有の時間感覚から離れてしまう。聴き方を変えると、曲の感触そのものが変わる。声はここでは言語の担い手というより、空気の密度をわずかに変える楽器として機能している。