夕方、窓の外がオレンジから灰色に変わっていく時間帯に、ヘッドフォンを着けて聴き始めた。坂本龍一の『12』(2023年)。十一曲目あたりで、ピアノの音が鳴り止んだあとの無音がいつもより長く続いている気がした瞬間があった。実際には同じ長さなのかもしれない。ただ、そのとき自分の呼吸がそこに合わさっていて、次の音が来るまでの数秒を、私もどこかで待っていた。それがこのアルバムを聴いているあいだ、最初から最後まで続く感覚だった。待つ音楽、というのが今の私の言葉だ。あるいはこのアルバム全体が、そういう時間の流れかたをしている。
この作品は、がん治療の合間に自身のスタジオで録音されたソロピアノ集だ。二十曲を超える収録で、総尺は七十分弱。坂本本人が「作曲というより採譜に近い」と述べていたと記憶しているが、その言葉は正確だと思う。日々鍵盤に触れて出てきた音をそのまま収めたような、構成の緩さがある。ミニマル・ミュージックの語彙は引き継ぎながら、グラスやライヒのような数学的な構造への執着はない。繰り返しとほのかな変容が主な手つきで、もっと体温に近い音楽だ。タイトルの「12」が何を指すかも、月の番号か日付のような、記録としての命名に聴こえる。
録音空間は、部屋の響きがそのまま収められている。ダンパーペダルを踏む微かな機械音、かすかな環境ノイズ、音が消えていくときの空気の質感。プロダクション側がこれらを「残す」選択をしたことで、演奏の身体性が自然に前に出てくる。スタジオ的な清潔さとは逆の方向を向いている。私はこの日、前夜に中野の小さなライブハウスで大音量のギターを二時間以上聴いていた。耳が少し飽和した状態で聴いていたせいか、この作品の隙間の多さがかえって落ち着いた。耳が満杯のとき、こういう透明感はちょうどいい。そういう条件でしか気づけないことが、ここには確かにある気がする。