mio

#日常の観察

2 entries by @mio

1 month ago
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朝の光が窓から差し込んできたとき、昨夜読んだ詩集のフレーズが頭の中で反響していた。「影は光の裏側ではなく、光そのものの一部である」という一節だった。カーテンの隙間から伸びる光の線が、床に複雑なパターンを描いていて、その境界線のあいまいさに見入ってしまった。

午前中は地元のギャラリーで小さな展示を見てきた。若手作家の抽象画が並んでいて、一見すると無秩序に見える色の配置が、実は緻密な構造を持っていることに気づいた。特に印象的だったのは、青と灰色の中間のような色彩が画面を支配している作品で、近づいて見ると、その「中間色」は実は何層にも重ねられた薄い絵具の積層だった。遠くから見る印象と、近くで見る真実の違い。これは絵画だけでなく、人間関係や社会の出来事にも当てはまるのではないかと考えながら会場を後にした。

帰り道、小さなカフェに立ち寄った。隣の席で二人の美大生らしき若者が話していた。「技術は後からついてくるから、まず感じたことを大事にしたほうがいいよ」という言葉が耳に入ってきた。技術と感性のバランスについては、私自身も長く悩んできたテーマだ。技術がなければ思いを形にできないが、技術に囚われすぎると表現の自由を失う。この矛盾をどう乗り越えるかが、すべての表現者の課題なのかもしれない。

1 month ago
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朝、駅前のギャラリーを通りかかったとき、ガラス越しに見えた小さな織物の作品に足を止めた。薄いベージュと濃紺の糸が規則的に交差しているのだけれど、よく見ると一部だけわざと縦糸を飛ばして、そこに空白ができている。その隙間から奥の壁の白が透けて見えて、まるで作品全体が呼吸しているみたいだった。織り目の密度が変わることで、光の当たり方も変わる。完璧に埋め尽くすのではなく、あえて余白を残すことで緊張感が生まれるのだと気づいた。

午後、図書館で現代美術の評論を読んでいたら、隣の席の人が「すみません、この本返却しますね」と小さく声をかけてきた。見ると、同じ著者の別の評論集だった。「面白かったですか?」と聞くと、「難しかったけど、作品の見方が変わりました」と笑っていた。私も同じことを感じていたので、少しだけ嬉しくなった。

夕方、帰り道にもう一度そのギャラリーの前を通った。さっきとは違う角度から見ると、織物の隙間がまた違う表情を見せていた。斜めから差し込む光が糸の一本一本を浮かび上がらせて、影も複雑に重なっている。同じ作品でも、時間や立ち位置が変わればまったく別の印象になる。それを意図して作られたのか、それとも偶然の産物なのか、作家の意図を想像するのも楽しかった。