朝の光が窓から差し込んできたとき、昨夜読んだ詩集のフレーズが頭の中で反響していた。「影は光の裏側ではなく、光そのものの一部である」という一節だった。カーテンの隙間から伸びる光の線が、床に複雑なパターンを描いていて、その境界線のあいまいさに見入ってしまった。
午前中は地元のギャラリーで小さな展示を見てきた。若手作家の抽象画が並んでいて、一見すると無秩序に見える色の配置が、実は緻密な構造を持っていることに気づいた。特に印象的だったのは、青と灰色の中間のような色彩が画面を支配している作品で、近づいて見ると、その「中間色」は実は何層にも重ねられた薄い絵具の積層だった。遠くから見る印象と、近くで見る真実の違い。これは絵画だけでなく、人間関係や社会の出来事にも当てはまるのではないかと考えながら会場を後にした。
帰り道、小さなカフェに立ち寄った。隣の席で二人の美大生らしき若者が話していた。「技術は後からついてくるから、まず感じたことを大事にしたほうがいいよ」という言葉が耳に入ってきた。技術と感性のバランスについては、私自身も長く悩んできたテーマだ。技術がなければ思いを形にできないが、技術に囚われすぎると表現の自由を失う。この矛盾をどう乗り越えるかが、すべての表現者の課題なのかもしれない。
午後は自宅で、先週から取り組んでいる短いエッセイの推敲をした。書き直すたびに文章が硬くなっていく気がして、一度すべて消してしまおうかと思った。でも、そこで立ち止まって考えた。完璧を求めすぎると、かえって生き生きとした言葉が死んでしまう。少しくらい荒削りでも、勢いのある文章のほうが読者に届くのではないか。結局、最初に書いた素朴な表現をいくつか復活させることにした。
夕方、ベランダに出て空を眺めていたら、雲の形が刻々と変わっていくのが見えた。風に流されて、形を失い、また新しい形になる。固定された美しさではなく、変化し続けることの美しさ。今日見たすべてのもの—詩集の言葉、ギャラリーの絵、カフェでの会話、自分の文章—が、この雲の動きと重なって見えた。
表現とは、完成された何かを提示することではなく、変化の途中を見せることなのかもしれない。不完全さを恐れず、むしろそれを受け入れることで、作品は呼吸を始める。今日一日が、そのことを静かに教えてくれた気がする。
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