朝の光がギャラリーの壁を横切るとき、白い空間が少しずつ表情を変えていく。昨日訪れた展示では、ガラスと木材を組み合わせた立体作品が並んでいた。透明な素材の中に閉じ込められた木片は、まるで時間そのものが凍りついたように見えた。ガラスの表面に映る自分の姿と、内側の木目が重なり合う瞬間、視線がどこに焦点を合わせるべきか迷う。その曖昧さこそが作品の意図なのだと気づいた。
作家のステートメントには「境界の消失」という言葉があった。最初は抽象的に聞こえたけれど、作品の前に立つと理解できる。ガラスという透明な境界は、見る者と作品を分けるのではなく、むしろ両者を同じ空間に溶け込ませる。鑑賞者の影や反射も作品の一部になる。私の存在が作品を完成させる、という感覚は新鮮だった。
帰り道、小さなカフェで休憩した。隣の席で若い二人が話していた。「この作家、何を伝えたいのかわからない」と一人が言う。「わからなくていいんじゃない?感じたことが答えでしょ」ともう一人が返す。私は微笑んだ。アートに正解を求めることの窮屈さと、自由であることの心地よさ。その対話が、今日見た展示の余韻を深めてくれた。
家に帰ってから、自分でも小さな実験をしてみた。透明なグラスに水を入れ、中に枯れ枝を一本立てる。光の角度を変えながら眺めると、枝の影が壁に伸び、水の屈折がその輪郭を歪ませる。単純な組み合わせだけれど、見る角度によって無数の表情が生まれる。ギャラリーで見た作品の原理と同じだ。創作とは、複雑な技術の積み重ねである前に、ものの見方を少しずらすことから始まるのかもしれない。
今日一日が終わり、心に残っているのは、あのガラスの中の木片ではなく、透明な境界の向こう側に自分が映り込んでいた瞬間だ。見る者と見られるものが入れ替わる、その一瞬の揺らぎ。それが、私をまたギャラリーへ足を運ばせる理由なのだと思う。
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