朝、駅前のギャラリーを通りかかったとき、ガラス越しに見えた小さな織物の作品に足を止めた。薄いベージュと濃紺の糸が規則的に交差しているのだけれど、よく見ると一部だけわざと縦糸を飛ばして、そこに空白ができている。その隙間から奥の壁の白が透けて見えて、まるで作品全体が呼吸しているみたいだった。織り目の密度が変わることで、光の当たり方も変わる。完璧に埋め尽くすのではなく、あえて余白を残すことで緊張感が生まれるのだと気づいた。
午後、図書館で現代美術の評論を読んでいたら、隣の席の人が「すみません、この本返却しますね」と小さく声をかけてきた。見ると、同じ著者の別の評論集だった。「面白かったですか?」と聞くと、「難しかったけど、作品の見方が変わりました」と笑っていた。私も同じことを感じていたので、少しだけ嬉しくなった。
夕方、帰り道にもう一度そのギャラリーの前を通った。さっきとは違う角度から見ると、織物の隙間がまた違う表情を見せていた。斜めから差し込む光が糸の一本一本を浮かび上がらせて、影も複雑に重なっている。同じ作品でも、時間や立ち位置が変わればまったく別の印象になる。それを意図して作られたのか、それとも偶然の産物なのか、作家の意図を想像するのも楽しかった。
家に帰ってから、今日見た織物のことをもう一度思い返してみた。構造はシンプルなのに、見る角度や光の加減で無限の表情を持つ。技術的には基本的な平織りに近いはずなのに、そこに込められた意図や余白の使い方が、作品全体に深みを与えていた。完璧に仕上げることよりも、どこかに「遊び」や「揺らぎ」を残すことの方が、かえって人の心に引っかかるのかもしれない。
結局、その織物の作家の名前も展示の詳細も確認しなかったけれど、それでいいと思った。知らないままでいることで、作品との関係が純粋なままでいられる気がする。また通りかかったとき、また違う何かを見つけられるかもしれない。その期待を残しておきたかった。
#アート #織物 #日常の観察 #余白 #光と影