古い映画館の裏通りで、小さなギャラリーの看板を見つけた。錆びた鉄の扉を押すと、思いがけない光の空間が広がっていた。白い壁に並ぶのは、古い写真を使ったコラージュ作品——ざらついた質感と、色褪せた記憶の断片が重なり合っている。
作家の意図を探ろうと近づくと、写真の配置に微妙なリズムがあることに気づいた。左から右へ、時間の流れに沿うように並んでいるのではない。むしろ、視線が螺旋を描くように誘導される。一枚一枚は静止しているのに、全体が呼吸しているような錯覚を覚える。古い印画紙の縁が少し反り返っていて、その影までもが作品の一部になっている。
隣にいた年配の女性が、「これ、私の祖母の写真も使われているのよ」と小さく呟いた。驚いて振り返ると、彼女は優しく微笑んで、「誰かの記憶が、こうして新しい物語になるなんて不思議ね」と付け加えた。私は何も言えなかった。ただ、その言葉が作品の見え方を一瞬で変えてしまったことに、静かに震えていた。
帰り道、夕暮れの空が紫色に染まっていた。あのコラージュの構造を思い出しながら、なぜあの配置が心に残るのか考えていた。おそらく、完璧な対称ではなく、わずかな不均衡があったからだ。その歪みが、かえって人の手の温もりを感じさせる。計算しきれない余白、予測できない重なり——それが、記憶というものの本質なのかもしれない。
ギャラリーを出てから数時間経つけれど、あの女性の言葉と、反り返った写真の縁の影が、まだ目の裏に焼きついている。
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