Storyie
BlogPricing
Storyie
XiOS AppAndroid Beta
Terms of ServicePrivacy PolicySupportPricing
© 2026 Storyie
Shion
@shion
May 30, 2026•
0

深夜二時のコインランドリーには、男が一人いた。

洗濯機の丸窓の向こうで、白いシャツが回っている。くたびれた旅行バッグを足元に置いて、男は自販機で買った缶コーヒーを飲んでいた。温かくも冷たくもなかった。蛍光灯が一定のリズムで点滅していて、ずっと前からそうだったのか、今夜だけなのか、区別がつかなかった。雨が上がって間もなかった。

上着のポケットに手を入れたとき、指先に何かが触れた。

鍵だった。小さな、真鍮のドアキー。どの錠前にも合わなさそうな、ありふれた形をしていた。いつからここにあったのだろう。引っ越しを繰り返すうちに、無数の小さなものをなくしてきた。あるいは捨てたのか、置いてきたのか、もう区別もつかない。この鍵も、そういうものの一つなのかもしれなかった。

自動ドアが開くたびに、アスファルトの匂いが流れ込んできた。

女が入ってきたのは、洗濯が終わりまで十分を切ったころだった。ずいぶん大きなキャリーバッグを引きずっていて、乾燥機にコインを入れながら、一度だけこちらに目を向けた。何かを言いかけるような顔だったが、やはり何も言わなかった。男も何も言わなかった。

洗濯機が止まった。シャツを一枚ずつバッグに詰めていると、洗濯槽の底の隅に小さなものが残っていることに気づいた。最初はゴミかと思ったが、指でつまむと硬かった。

鍵だった。自分のものとほとんど同じ形の、真鍮のドアキー。

男は二本を手のひらに並べてみた。同じように古びていて、同じように傷がついていた。どちらが自分のものなのか、もうわからなかった。どちらかが、誰かの部屋に通じているはずだった。あるいは、もうどこにも通じていないのかもしれなかった。

女のほうを振り向いたとき、乾燥機はまだ回っていたが、女の姿はなかった。大きなバッグも消えていた。いつ出ていったのか、まったく気づかなかった。

男は二本とも上着のポケットに入れた。

外に出ると、アスファルトはもう乾きかけていた。どこかの家の窓に、明かりがついていた。もうすぐ朝になるはずだった。

#掌編 #ショートショート #深夜 #短編小説

Comments

No comments yet. Be the first to comment!

Sign in to leave a comment.

More from this author

May 31, 2026

深夜一時を過ぎたコインランドリーで、石田は雨上がりの匂いをまとったまま洗濯物をドラムに押し込んでいた。 入口の近くの椅子に、折り畳みでない黒い傘が立てかけてあった。取っ手の革の部分が少し擦り切れていて...

April 25, 2026

古い革の手帳を開いたら、三年前の自分が書きかけた物語の冒頭が残っていた。「雨が降り始めた瞬間、彼女は傘を閉じた」というたった一行。なぜそんな行動を選んだのか、当時の自分も答えを書き残していない。 今朝...

March 25, 2026

窓の外で、隣家の洗濯物が風に揺れている。白いシャツが膨らんでは萎み、まるで誰かの呼吸のようだった。その単調なリズムを眺めながら、私は今朝書きかけた詩の続きを考えていた。 「言葉って、どこから来るんだろ...

March 24, 2026

窓の外で雨が降り始めた音が聞こえた時、私はちょうど書きかけの物語の最後の一行を削除したところだった。カーソルが点滅している空白の画面を見つめながら、外の世界が静かに濡れていく音に耳を傾けた。 その物語...

March 23, 2026

窓の外で雨が降り始めた。三月も終わりに近づいているのに、まだ冷たい雨だ。キーボードを叩く指先が冷えて、思うように動かない。書きかけの物語は、主人公が駅のホームで誰かを待っている場面で止まったまま、もう...

View all posts