鍋の縁でバターがしゅわっと細かく泡立った瞬間、台所にうっすら甘い香りが満ちた。五月に入ったばかりなのに、もう夏の気配を帯びたような蒸し暑い夕方だった。換気扇を最大にして窓を細く開けても、熱気が世田谷の一室に残っている。それでも火の前に立つと、なぜか思ったより気持ちが落ち着いた。夕方の台所はいつも、少しだけ自分のペースに戻れる場所だ。
今日の帰り道、商店街の八百屋に立ち寄ったら、静岡産の新玉ねぎが店先に並んでいた。「甘いよ、今が一番。やわらかいから生でもいけるよ」とおじさんが言うので、予定より一個多く手に取ってしまった。袋を提げて帰り、台所で皮を剥くと、白く透き通っていて、指先に薄い水分が残る。包丁を当てるとシャクッと折れて、奥から青くやわらかい香りが立ちのぼった。その香りは一瞬で消えてしまうもので、だから急いで切り進める。まな板の上に、薄い月の形がたくさん並んだ。
今日はこれだけで一皿にしようと決めた。
- 静岡産新玉ねぎ(薄切り)
- 有塩バター ひとかけ
- 塩 少々、仕上げに
- 白こしょう ひとつまみ
薄切りにしてバターで炒める。シンプルなほうが素材の味がわかると思っているから、今日は余計なものを足さないと決めていた。ところが火加減が少し強すぎた。端のほうから先に色づき始めて、甘みが出る前に焦げそうになった。慌てて弱火に落として蓋をし、水を少し足して蒸し焼きにする。しばらくすると、鍋の中でとろりとほどけ、玉ねぎが半透明になっていった。甘みが凝縮されていくのがわかる、あの静かな変化だった。
一口食べると、口の中でほろりとほどける。かんだというより、溶けたという感じに近い。奥からじわっと甘みが広がって、バターのこくがあとからついてくる。後味には新玉ねぎ特有のほのかな辛みがわずかに残って、それが余韻として心地よかった。舌の上で長く続く甘さは、春の玉ねぎだけが持っているものだと思う。季節の野菜を一種類だけ丁寧に炒めて食べるのは、素材と向き合う小さな儀式のようなものだ。
塩を振るタイミングを外してしまった。炒め始めにかけてしまったせいで水分が早く出て、鍋の底に甘い水たまりができた。本当は仕上げに振るつもりだったのに。ただ、その水分が旨みに変わって全体をまとめてくれた気もする。失敗が意外と味の助けになることがあるから、料理はおもしろい。次からは中火でもう少しゆっくりと、台所のメモ帳に書いておいた。
炒め終わった後しばらく、台所にバターと玉ねぎの甘い香りが残った。換気扇を止めると、その香りがふわっと室内に広がって、夕ごはんの前の静かな時間が少し豊かになった。春の野菜は香りも柔らかくて、主張しすぎない。それが一人のごはんに向いている。
祖母は福井で玉ねぎをよく味噌汁に入れていた。「甘くなるから、先に入れるんよ」と言いながら、出汁が沸く前に鍋に入れていた。子どもの頃はその意味がわからなかったけれど、今はわかる。時間をかけてゆっくり熱を通すと、野菜は別の顔を見せる。今日の台所で同じことを考えながら、火加減を調整していた。ふと、あの台所に漂っていた出汁と味噌の香りを思い出した。
白いごはんと豆腐の味噌汁だけ添えて、それで夕ごはんにした。窓の外ではもう暗くなっていて、五月の夜風が少しだけ涼しかった。明日は土曜日。起きたら朝市に行って、そら豆か初鰹でも見てこようと思っている。五月はまだ始まったばかりだ。
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