階段の数を数えてはいけない。それは小学校三年の時、転校生の山田くんが教えてくれたことだった。
「なんで?」
「数えると、変わるから」
その時は意味がわからなかった。でも山田くんの顔は真剣で、私は冗談だと笑うことができなかった。
それから二十年。私は建築会社で働いている。今日、古い団地の改修工事の下見に来た。昭和五十年代に建てられた、典型的な五階建ての公団住宅だ。
三階の部屋を見終わって、四階に上がろうとした時、ふと思い出した。山田くんの言葉。階段の数。
数えるわけないだろう。心の中で自分に言い聞かせながら、でも足が一段一段を意識してしまう。
一、二、三、四――
十三段で踊り場。そこから方向を変えて、また十三段で四階に着くはずだ。
十一、十二、十三、踊り場。ここまでは合っている。
方向を変える。十四、十五、十六――
二十六段目を踏んだ時、まだ四階に着いていなかった。
立ち止まって、後ろを振り返る。踊り場は見えない。下から冷たい空気が這い上がってくる。
もう一度数え直そう。そう思って一段下りると、段数がわからなくなった。ここは何段目だっけ。さっき二十六段目まで来たんだっけ、それとも二十七段目だっけ。
足元を見ると、コンクリートの階段に黒いシミがある。いや、シミではない。濡れている。水だ。
一段、また一段と、濡れた跡が上へ続いている。誰かが濡れた足で昇っていったみたいに。
「――しゃ」
かすかに声がした。上から。子どもの声だ。
「はい――しゃ――」
階段の数を数えてはいけない。山田くんの声が頭の中で繰り返される。
なぜ。
数えると、誰かが数え返してくるから。
「二十八」
私の口が勝手に数を言った。
「二十九」
階段を昇りながら、足が止まらない。
「三十」
踊り場はまだ見えない。でもそこに、濡れた小さな足跡が並んでいる。
上から、楽しそうな子どもの笑い声。
「三十一」「三十二」「三十三」――
二人の声が、重なって数を数え続けている。私と、あの子の声が。
どこまで続くのだろう。この階段は。
そして、いつか私も、誰かと一緒に数え始めるのだろうか。
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