あの夜、取材に行くべきではなかった。 友人の紹介で連絡してきた女性は、「絶対に本物の話です」と繰り返した。場所は閉校になって三年が経つ廃小学校。話の内容は、「音楽室の鏡」についてだった。 彼女の話によ...
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あの夜、取材に行くべきではなかった。 友人の紹介で連絡してきた女性は、「絶対に本物の話です」と繰り返した。場所は閉校になって三年が経つ廃小学校。話の内容は、「音楽室の鏡」についてだった。 彼女の話によ...
夜の十一時を過ぎた頃、私は駅のホームに一人立っていた。 終電まであと十分。蛍光灯がひとつ、ゆっくりと明滅していた。 反対側のホームに、女が立っていた。
夏の終わり、田中みずきは終電に乗り損ねた。 駅から家まで、歩いて二十分。慣れた道だ。でも、こんな時間に歩くのは初めてだった。 街灯の光が、アスファルトに細長い影を作る。みずきの後ろに、みずきの影が伸び...
その夜、残業を終えて会社を出たのは、もう零時を過ぎた頃だった。 駅まで続く商店街は人気ひとけがなく、シャッターの並ぶ通りに自分の足音だけが響いていた。信号が変わるたびに立ち止まる。赤、青、赤、青。誰も...
去年の夏、友人の佐和子から聞いた話だ。 彼女は高校三年の受験生で、その日も図書室で夜遅くまで勉強していた。消灯時間の少し前、トイレに立った。廊下には誰もいない。自分の足音だけが、磨き込まれた床に長く響...
深夜二時、いつものコンビニで缶コーヒーを買った。
レジの店員は見たことのない女性だった。青白い顔、長い黒髪。名札には何も書かれていない。彼女は無言で商品を受け取り、バーコードを通した。ピッという音が妙に遠く聞こえた。
「三百円です」
声が低い。男性のような、老人のような。
釣り銭を受け取る時、彼女の手が氷のように冷たかった。店を出ながら振り返ると、彼女はじっとこちらを見ていた。笑っていなかった。
翌日の深夜、また同じ店に入った。同じ女性がレジにいた。同じ青白い顔、同じ長い黒髪。
「いらっしゃいませ」
今度は声が出なかった。口だけが動いている。
レジに並ぶ。前に客はいない。店内には私と彼女だけ。蛍光灯が微かに震えている。
缶コーヒーを差し出すと、彼女の目が私を捉えた。黒い瞳の奥に、何かがいた。
「毎晩、ありがとうございます」
私は毎晩来ていない。週に一度来るだけだ。
「明日も、お待ちしております」
背筋が凍った。
「明後日も」
彼女の口元が歪んだ。
「ずっと」
私は金を置いて店を飛び出した。
それから二週間、そのコンビニを避けた。別の店で買い物をした。
ある夜、仕事帰りに無意識に足が動いた。気づいた時、あのコンビニの前に立っていた。
ガラス越しに店内が見える。レジに彼女がいた。
彼女は外を見ていた。私を見ていた。
そしてゆっくりと手招きをした。
私の足は勝手に動き出した。自動ドアが開く。
「お帰りなさいませ」
彼女がそう言った気がした。
気がついたら、私はレジの中にいた。青白い蛍光灯の下で、制服を着て、客を待っていた。
外には誰もいない。
深夜二時を過ぎると、ガラスの向こうに人影が見える。
私はその人を、じっと見つめる。
そして、手招きをする。
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