誰もいない校舎で補習を受ける日、私は三階の音楽室へ向かっていた。夏休みの終わり、蝉の声さえ途切れがちな午後三時。
階段を上る途中、二階の女子トイレから水の流れる音が聞こえた。誰かいるのだろうと思い、そのまま通り過ぎた。
音楽室に着くと、担当の先生がまだ来ていなかった。窓際の席に座り、ぼんやりと外を眺める。校庭には誰もいない。プールの水面だけが、風もないのにわずかに揺れていた。
また、水の音がした。
今度は真下、二階から。さっきと同じ女子トイレだろうか。止まらない水音。誰かが流し忘れているのかもしれない。
十分経っても先生は来なかった。携帯を見ると、圏外になっていた。この校舎でそんなことは初めてだった。
水音は続いている。だんだん大きくなっているような気がした。
私は音楽室を出て、階段を降りた。二階の廊下は薄暗く、夕方のような光だった。時計を見ると、まだ三時十分だった。
女子トイレの前に立つ。中から水音が聞こえる。ざあざあと、まるで土砂降りの雨のような音。
「すみません」と声をかけたが、返事はない。
扉を押して中に入った。
個室は三つとも開いていて、誰もいなかった。でも、水音は鳴り止まない。一番奥の個室から聞こえてくる。便器の中の水が、溢れる寸前まで満ちていた。そして、その水面に、何かが映っていた。
天井でもなく、照明でもない。
長い髪の、顔だった。じっと、こちらを見ている。水面の中から。
私は走った。階段を駆け上がり、音楽室に飛び込んだ。
そこには、先生が座っていた。私の席に、背中を向けて。
「先生」と呼びかけたが、振り返らない。そして気づいた。先生の足元に、水溜まりができていた。じわじわと広がっていく。
先生がゆっくりと振り返った。
その顔は、ひどく濡れていた。
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