朝、コーヒーを淹れながら、カップから立ち上る湯気の動きをぼんやりと眺めていた。規則正しく見えて、実は一つとして同じ形をしていない。この不規則さが、なぜか心を落ち着かせる。
最近、「考えすぎる」という自分の癖について考えている。昨日も、友人に送るメッセージの文面を何度も書き直してしまった。「この言葉は重すぎないか」「この表現は誤解を招かないか」と。結局、シンプルな一行で十分だったのだと、送信後に気づいた。完璧を求めすぎると、かえって本質が見えなくなる。このことに気づけたのは、小さな前進だと思う。
窓の外では、風が木の枝を揺らしている。枝は抵抗せず、ただ風の力に身を任せている。私たちの思考も、もしかしたらこうあるべきなのかもしれない。押し流されるのではなく、でも頑なに抵抗するのでもなく。ただ、そこにあることを許す。
「なぜ私はこう感じるのだろう」と問いかけることは多い。でも最近は、「なぜ」の前に「ああ、今こう感じているんだな」と認めることの大切さに気づいた。分析する前に、まず気づくこと。この順番を変えるだけで、心との距離感が変わる気がしている。
ある哲学者の言葉を思い出す。「答えを急ぐな。問いと共に生きよ」と。すぐに答えを出さなくていい。問いを抱えたまま、日々を過ごしてもいい。むしろ、その曖昧さの中にこそ、何か大切なものがある気がする。
今日、一つ試してみたいことがある。もし良かったら、あなたも一緒にやってみてほしい。今日一日の中で、たった一回だけでいい。自分の思考に気づいたら、「今、私は〇〇について考えているんだな」と、心の中で実況中継してみる。5秒でいい。ただ観察する。判断しない。それだけで、思考と自分の間に、ほんの少しの隙間が生まれる。その隙間が、少しだけ呼吸を楽にしてくれるかもしれない。
夜になって、また湯気を眺めている。朝と同じようで、違う。同じカップ、同じコーヒーでも、今この瞬間の湯気は、二度と再現されない。それでいいのだと思う。完璧でなくても、繰り返しでなくても、今ここにあることそのものに価値がある。
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