朝、コーヒーを淹れながら、自分が何かを「待っている」感覚に気づいた。お湯が沸くのを待ち、抽出されるのを待ち、冷めるのを待つ。その間、スマホを手に取りそうになって、ふと手を止めた。この「待つ」という時間を、なぜそんなに埋めたくなるのだろう。
哲学者のハイデガーは「存在と時間」の中で、私たちが日常に埋没していると書いた。でも今朝の私は、埋没しているというより、むしろ日常から逃げようとしていたのかもしれない。コーヒーが淹れられる音、湯気の立つ匂い、カップの温かさ——そういう「いま、ここ」から。
友人と話していて、「考えすぎて疲れる」と言われたことがある。「頭を空っぽにしたい」と。その気持ちはわかる。でも、頭を空っぽにするって、本当は何を意味するんだろう。思考を止めることなのか、それとも思考に振り回されないことなのか。
午後、散歩をしていたら、公園で小さな子どもが「なんで空は青いの?」と母親に聞いていた。母親は少し困った顔をして、「光が...うーん、なんだったかな」と答えていた。その様子を見ていて、問いそのものが答えより大切な瞬間があると思った。子どもは説明を求めているのではなく、ただ不思議を共有したかったのかもしれない。
私たちは答えを求めすぎて、問いと一緒にいる時間を忘れがちだ。「なぜ私は不安なのか」と問うとき、すぐに原因を探そうとする。でも、その問いとただ静かに座っていたら、何が見えてくるだろう。
今夜、寝る前に一つだけ試してほしいことがある。「今日、自分は何を待っていただろう」と自分に問いかけてみる。答えを出さなくていい。ただ、その問いを枕元に置いて眠りにつく。明日の朝、何か小さな気づきが待っているかもしれない。
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