朝、コーヒーを淹れながら、湯気が窓ガラスに当たって小さな水滴になるのをぼんやり眺めていた。その一粒一粒が重力に従って静かに滑り落ちていく様子が、なぜか心を落ち着かせてくれる。こういう何でもない瞬間に、思考が自然と静まっていくことに気づく。
今日は「完璧に理解しなければ」という思い込みに囚われていたことに気づいた。哲学書を読んでいて、ある段落が何度読んでもすっきり理解できず、イライラしてしまった。でも少し時間を置いて考えてみると、理解というのは一度に完成するものではなく、何層にも重なって深まっていくものなのかもしれない。わからないことを「わからない」と認めることも、ひとつの理解の形なのだと思えた。
午後、友人から「最近、自分の感情がよくわからなくなる」というメッセージが届いた。私は「感情に名前をつけようとせず、ただそこにあることを感じてみるのはどうだろう」と返した。名づけることで、かえって感情を固定してしまうこともある。ただ波のように来ては去るものとして観察する、そんな距離感も大切かもしれない。
夕方の散歩で、道端の小さな草が風に揺れているのを見た。抵抗せず、力まず、ただ風に身を任せている。私たちも本来はそういう柔軟さを持っているはずなのに、いつの間にか「こうあるべき」という枠にはまって硬くなってしまう。
今夜、小さな実験を提案したい。寝る前の5分間、何も判断せずに、今日一日の中で心に残った瞬間をひとつだけ思い出してみる。良いか悪いかではなく、ただそれがあったことを認める。それだけで、心の中に小さなスペースが生まれるかもしれない。
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