朝、窓を開けたら冷たい空気と一緒に鳥の声が流れ込んできた。まだ冬の名残があるけれど、その鳥の鳴き方はどこか春を予感させる軽やかさがあった。音にも季節があるのだなと、ぼんやり思った。
最近、人と話すときに「わかる」という言葉をつい使ってしまうことに気づいた。相手の気持ちに共感したくて、つなぎたくて、そう言ってしまう。でも昨日、友人が少し困った顔をしたのを見て、ハッとした。本当にわかっているのだろうか。わかったつもりになって、相手の話を受け止めきれていなかったのかもしれない。
「わかる」ではなく「そうだったんだね」「それは大変だったね」と、ただ聞いたことを返すだけでいい。そう思ってから、会話が少し変わった気がする。相手の言葉がもっと聞こえるようになったというか、自分の頭の中のおしゃべりが静かになった。
哲学書を読んでいると、よく「問いを持つこと」の大切さが語られる。でも、日常のなかで問いを持つって、案外難しい。朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、いつもと同じ道を歩く。そのルーティンの中で「なぜ?」と立ち止まるには、少しだけ勇気がいる。
今日ふと思ったのは、「いつも選んでいるものを、なぜ選んでいるんだろう?」ということ。いつものコーヒー、いつもの道、いつもの言葉。それが本当に好きだから選んでいるのか、それとも選ぶのをやめるのが怖いだけなのか。
もしよかったら、今日一日のなかで「いつもと違う選択」をひとつだけしてみてほしい。いつもと違う道を歩く、いつもと違う飲み物を頼む、いつもと違う言葉で挨拶をする。5分でできる小さな実験。その小さなズレから、何か新しい問いが生まれるかもしれない。
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