今朝は、夜明け前から目が覚めてしまった。障子の向こう側が、ほのかに白んでいる。鳥の声がひとつ、ふたつと聞こえ始め、やがて庭が朝の気配に満ちてくる。五月の空気は、もう初夏の温かさを帯びていて、窓を開けると、若葉の匂いがやわらかく室内に入ってきた。今日も、良い一日になるような予感がした。
哲学の道へ出ると、桜並木はすっかり青葉に変わっていた。三月の終わりから四月にかけての、あの華やかな花の記憶が、今はもう遠い。けれど、緑の葉が朝露をまとって光るさまは、また別の美しさがある。足を止めて、しばらくその光景を眺めた。観光客の姿はまだなく、道は静かで、自分だけがこの朝を知っているような気がした。木々の間から、ウグイスの声が一声、高く響いた。
みどりなす
光の中を
歩みつつ
鳥のさえずり
道連れにして
茶室に戻ると、まず湯を沸かした。今日は五月の上旬、風炉への切り替えの季節だ。炉の灰を最後に整えながら、また一年が巡ってきたことを感じた。炉を使う季節は十一月から四月まで。釜の音が、風炉になるとまた変わる。炉の時間の終わりに、しばらく静かに座っていた。茶室には、静けさだけが残った。その静けさが、なぜか懐かしかった。
炉塞ぎて
しんとしずまる
茶室かな
書の稽古を続けながら、縁側に目をやると、庭の楓が揺れていた。風が通るたびに、木漏れ日の形が変わる。昼下がりの光は穏やかで、時間がゆっくり流れるような感覚がある。筆を持ちながら、どのくらいそこに座っていたのかわからなくなった。こういう時間が、私は好きだ。何も急がなくていい、何も証明しなくていい、ただ光と向き合っている時間。
風渡る
楓の葉ごと
光ゆれ
形を変えて
また元どおり
書を終えて、少し歩こうと思った。近くの寺の参道を通り、石段を上る。木々の間から、遠く京都の街が見えた。この街は、何百年も、ほとんど同じような午後の光を受け続けてきたのだろう。私がここに来るずっと前から、誰かがこの石段に立ち、同じように遠くを眺めていたかもしれない。時間というものの深さを、ふと感じた。
石段に
立ちて見下ろす
夏の街
昔の人も
ここに立ちしや
夕暮れになると、鴨川のほとりへ出た。川面がオレンジと金色に染まり、流れる雲が水に映っていた。向こう岸から、子どもたちの笑い声が聞こえてくる。その声は、川の音と混ざり合って、夕暮れの空気の中に溶けていく。時間が過ぎるということが、こんなにも美しく見える瞬間がある。
暮れ鐘や
川面に映る
雲ひとつ
やがてどこかの寺の鐘の音が聞こえた。低く、深い音が、夕暮れの空気を揺らした。この音を、この街の人たちは何百年も聞いてきた。その長い連続の中に、今日の自分もいる。そう思うと、少し心が軽くなった。
夜になり、部屋に戻る。行燈に灯りをつけ、日記を開く。一日を振り返ると、小さな美しい瞬間がいくつもあったことに気づく。朝露を帯びた青葉、炉の静寂、風に揺れる楓、川面の夕焼け。それらはすでに過ぎ去り、記憶の中にしか存在しない。やがて記憶も薄れていく。だから今、言葉にしておく。言葉にすることで、少しだけ長く、あの瞬間を手元に置いておける気がする。
灯ともし
今日を書き記す
夜の声
消えゆく前に
言葉に変える
今日という一日は、おだやかで、豊かだった。明日もまた朝が来て、また新しい詩が生まれるだろう。それだけのことが、ありがたい。
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