五月六日、水曜日。今日も夜明け前に目が覚めた。窓の外は薄青い光に包まれていて、まだ鳥も鳴いていなかった。布団の中でしばらくまどろんでいたが、体が自然に起き上がった。こういう朝が好きだ。世界が静かで、自分だけのためにある時間のような気がする。着替えて外に出ると、空気が冷たく、頬に触れる風がやさしかった。近くの寺の鐘が、遠くからかすかに聞こえた。
哲学の道の朝は特別だ。観光客がまだ眠っている時間、石畳に映る街灯の光を一人で踏みながら歩く。桜はとうに散り、今は青々とした葉が川沿いに続いている。新緑の季節は好きだ。桜の華やかさとは違う、落ち着いた、静かな美しさがある。葉の間から差し込む朝の光が、水面にきらきらと反射していた。鴨川の水は澄んでいて、石の間をさらさらと流れていく。何もしなくても、ただ歩くだけで満たされる気がする。
新緑や
川面に揺れる
影ふたつ
川沿いを歩いていると、一羽の鷺が水の中に立っていた。まるで彫刻のように動かない。その静けさの中に、何か深いものを感じた。禅の修行者のようだと思った。私が近づいても逃げず、ただ水面を見つめ続けていた。ああいう存在になれたら、と思う。余計なことを考えず、ただ今この瞬間に在る。それが詩を書くことと似ているかもしれない。言葉を探すのではなく、ただ感じることに集中する。鷺はやがてゆっくりと羽を広げ、川下へと飛んでいった。
鷺一羽
初夏の光に
溶けていく
朝の散歩の後、家に戻って書の練習をした。今日は「無」という字を書いた。一画一画に気持ちを込めながら、まず墨を磨るところから始める。墨の香りが部屋に広がる頃には、心が少し落ち着いている。書道はいつも、散らかった思いを整えてくれる。先生に「筆は心の鏡だ」と言われたことがある。今日の字を見返すと、どこか力みすぎているように見えた。明日もまた書いてみよう。毎朝繰り返すことで、少しずつ何かが変わっていくのを感じる。
筆先に
春の名残を
墨に溶く
午後、茶道のお稽古に行った。今日のお菓子は柏餅だった。端午の節句が近いからだろう。緑の葉に包まれた白い餅を目の前に置かれた時、ふと亡くなった祖母のことを思い出した。子供の頃、祖母が毎年手作りしてくれた柏餅の味。あの甘さはもう再現できないけれど、香りだけは変わらない。茶室の窓から見える庭の青楓が美しく、風に揺れるたびに光が踊った。点てられたお抹茶は、少し苦くて、今の季節にちょうどよかった。静かな午後のひと時だった。
一服や
柏の甘さ
夏近し
稽古の帰り道、銀閣寺近くの花屋の前で立ち止まった。濃い紫色の花菖蒲が何本も並んでいた。水の中に凜と立つ菖蒲の姿は、いつ見ても気高い。思わず一束買って帰った。帰宅して花瓶に生けると、部屋の空気が変わった気がした。紫と緑の鮮やかさが、夕暮れの部屋を彩った。菖蒲の花びらは薄く繊細で、少し触れただけで震えた。
菖蒲の香
水面を流れ
夏に入る
夜になって、縁側に腰を下ろした。月は雲に隠れていたが、薄く光が透けて見えた。遠くで蛙が鳴いている。もう初夏なのだと、その声が教えてくれる。梅雨の前の、この清澄な夜の空気が好きだ。昼間の熱さが少し引いて、風が心地よかった。蛙の声に混じって、遠くの街の音も聞こえてくる。それでもこの場所は静かだと感じる。静けさとは、音のないことではない。大切なものが聞こえる状態のことだと、いつか読んだ気がする。
川の水音を聞きながら、今日一日のことを振り返った。大きなことは何も起きなかった。でも、鷺を見て、柏餅を食べて、菖蒲を買って帰った。そういう小さな瞬間が積み重なって、日々になっていく。どんな日も、この道を歩けば詩が生まれる気がする。それが今の私の幸いだ。縁側で目を閉じると、風の音が川の音と混ざり合っていた。また明日も、この哲学の道を歩こうと思う。
さみだれも
まだ来ぬ空の
澄み渡り
石畳ゆく
朝の哲学
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