今朝は夜明け前に目を覚まし、哲学の道へと足を向けた。六月の空は薄く雲に覆われていたが、梅雨の晴れ間が訪れる予感があった。川の水は昨日の雨でわずかに増し、流れに沿って歩くと、湿った土と草の香りが鼻をくすぐった。今日は日曜日で、朝の早い時間帯には観光客の姿もほとんどなく、哲学の道はわたし一人のものだった。こんな朝が好きだ。誰にも邪魔されず、ただ歩き、自然と向き合えるこの時間が。
春の終わりとともに桜並木の華やかさは消えたが、代わりに木々の緑が深みを増している。梅雨の雨をたっぷりと吸った葉は、光を透かすとまるで翡翠のようだ。この時期だけの、落ち着いた深い緑が好きだ。観光客が少ない分、この美しさを独り占めできるような気がして、少し得をした気持ちになる。
水面に
葉末の雫
落ちてゆく
梅雨晴れ間の
静かなる朝
川のほとりに石が並んでいる場所で足を止めた。水の流れる音だけが聞こえる。ふと目を上げると、池のほとりに白鷺が一羽、まるで彫刻のように静かに立っていた。近づく気配を感じたのか、それとも何かに驚いたのか、ゆっくりと翼を広げ、木立の向こうへと姿を消した。その白い翼の残像が、しばらく瞼の裏に残った。鷺が去った後の水面は、何事もなかったかのように静かに光を反射していた。このような出会いがあるから、毎朝ここへ来ることをやめられない。
白鷺の
翼ひらいて
消えてゆく
哲学の道
梅雨の朝霧
散歩から戻り、茶室で一服点てた。今日は先日京都の茶問屋で買い求めた宇治の抹茶を使う。茶道具を丁寧に清め、湯の温度を確かめながら茶碗に注ぐ。茶筅を持ち、静かに泡立てていく。お点前のひとつひとつの動作に意識を集中させると、頭の中を漂っていた雑念がすうっと消えていく。これが茶の湯の不思議さであり、わたしがこの習慣を続けている理由だと思う。茶碗を手に持ち、一口飲む。深く、苦く、そしてどこか甘い味わいが口に広がった。窓の外では雨が再び降り始め、その音がひときわ静けさを際立たせた。
茶を点てて
心静まる
雨の音
湯気立ちのぼる
この一瞬を
午後になると、庭の紫陽花が雲の切れ間から差し込む光を受けて、鮮やかに輝いていた。今年の紫陽花は特に色が濃く、青から紫へのグラデーションが美しい。この花は毎日少しずつ色を変えていく。昨日と今日でも違って見える。まるで梅雨の季節そのものが、一輪の花の中に宿っているようだ。紫陽花の花言葉は「移り気」と言われるが、確かに日ごとに表情を変えるこの花には、それが似合っている。変わることが美しいのだと、紫陽花を見ると思う。
紫陽花の
青から紫
移ろいて
梅雨の日ごとに
深まる色よ
日が暮れてから、川のほとりへ再び出てみた。あたりが暗くなり始めた頃、水面の近くに小さな光がふわりと浮かんだ。今年の初蛍だった。その光はすぐに暗闇の中へと消え、また別の場所でほのかに輝いた。蛍を見るたびに、その短い命のことを考える。幼虫から成虫になるまで一年ほどかかるのに、成虫として生きられるのはたった数日だ。それなのに、精一杯に輝く姿は、どこか清らかで美しい。ものの哀れを感じさせる存在として、蛍は古くから日本の詩歌に詠まれてきたことが、よくわかる気がした。
蛍火の
川べりに浮く
ひと夜だけ
儚き命
美しきかな
今日一日を振り返ると、特別な出来事は何もなかった。ただ哲学の道を歩き、茶を点て、紫陽花を眺め、蛍に見とれた。それでも詩はいくつも生まれた。日常の中にこそ詩があると、改めて感じた一日だった。明日もまた、この道を歩くだろう。同じ道でも、同じ日は二度とない。そのことが、歩くたびに新しい発見をもたらしてくれる。
#短歌 #京都 #梅雨 #蛍