早春の朝、哲学の道を歩きながら目にした景色を詠む。
梅の香や
朝の光に溶けながら
春を呼ぶ風
川面には
薄氷の名残りと
花びら一片
石畳
猫の足跡辿りゆく
春の夕暮れ
待ちわびし
桜の蕾ほころびて
古寺の庭に
淡き光さす朝
また巡る春
茶室にて
湯気立ち上る静けさよ
窓の向こう側
雨音が
屋根を叩いて目覚めれば
霞む山々
旅人の
カメラに収まる一瞬を
風が過ぎ去る
街路樹の
芽吹きを見上げる子供らよ
小さき発見
夕暮れの
鐘の音遠く響きつつ
影長く伸ぶ
石段を登る僧
春の終わりか
今朝もまた同じ道を歩き、同じ景色を眺める。けれど昨日とは違う風が吹き、昨日とは違う光が差す。それが春という季節の不思議さだ。
毎年訪れる春だが、二度と同じ春はない。梅が散り、桜が咲き、そしてまた散ってゆく。移りゆくものの美しさを、ただ静かに見つめている。
哲学の道沿いの桜は、まだ蕾が固い。しかし日ごとに膨らみを増し、やがて一斉に花開く日が来るだろう。その瞬間を待ちわびる心と、散ることを知る心が同居する。これが「もののあはれ」というものかもしれない。
茶室で一服の茶を点てる時、窓の外に見える庭の景色が心を落ち着かせる。手入れされた苔、配置された石、そして季節ごとに表情を変える木々。人の手が加わりながらも、自然の摂理に従う美しさがそこにある。
夕暮れ時、銀閣寺の鐘が聞こえてくる。その音色に導かれるように、今日一日を振り返る。特別なことは何も起こらなかった。それでも心に残る瞬間がいくつもあった。道端の猫、市場で笑う人々、雨上がりの虹の欠片。
詩を詠むということは、見過ごされがちな瞬間に光を当てることだと思う。誰もが目にする景色の中に、誰も気づかない美しさを見出すこと。それが俳人としての私の役目なのかもしれない。
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