駅のトイレで手を洗っていたとき、鏡に映る自分の後ろに誰かが立っているのが見えた。
振り返っても誰もいない。でも鏡の中では、その人影がまだそこにいる。黒い髪の女性だった。じっと私を見ていた。
それから毎日、同じ時間に同じ駅を通るようになった。最初は怖かったけれど、不思議なことに、その女性は何もしてこない。ただ鏡の中に立っているだけ。
三日目、勇気を出して鏡に向かって話しかけてみた。
「あなたは誰ですか」
鏡の中の女性は答えない。でも、少しだけ首を傾げた。まるで私の質問が理解できないという風に。
一週間が過ぎた頃、気づいたことがある。鏡に映る女性の服装が、毎日少しずつ古くなっていく。最初は普通のワンピースだったのに、今では昭和初期のような着物になっている。
そして昨日、恐ろしいことに気がついた。
鏡の中の駅のトイレの壁に、小さな張り紙がある。私のいる現実のトイレには、そんな張り紙はない。目を凝らして読んでみると、それは行方不明者の捜索願いだった。
写真の女性は、鏡の向こうに立っている人とそっくりだった。
日付を見て、血が凍りついた。昭和六十三年、三月十七日。
今日と同じ日付。
女性がゆっくりとこちらに手を伸ばしてくる。鏡の表面に触れようとしている。私も無意識に手を伸ばしかけて、はっとして手を引いた。
もし触れてしまったら、どちらが鏡の中に引き込まれるのだろう。
それとも、もう私は――
今、この文章を書きながら、部屋の鏡に何かが映っている気がする。でも怖くて、確かめることができない。
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