朝、コーヒーを淹れながら、昨日の会話をふと思い返していた。友人が「忙しすぎて自分が何を感じているのかわからない」と言っていたのだ。その言葉が、なぜか今朝まで心に残っていた。
お湯を注ぐ音に耳を傾けながら、自分も似たような状態になることがあると気づいた。忙しさの中で、感情が背景にぼやけていく。まるで走っている電車の窓から景色を見るように、すべてが流れていってしまう。
試しに、コーヒーカップを両手で包んで、その温かさだけに意識を向けてみた。たった30秒ほどだったけれど、不思議なことに、少し落ち着いた。温度という具体的な感覚が、ぼんやりしていた心に輪郭を与えてくれたような感じがした。
午後、デスクワークの合間に、ふと「今、自分は何を感じているだろう」と自分に問いかけてみた。最初は何も出てこなかった。でも、少し待っていると、「肩が重い」「少し焦っている」という感覚が浮かんできた。それに気づいただけで、何かが少し軽くなった気がした。
感情を言葉にすることと、感情に気づくこと。この二つは違うのかもしれない。言葉にしようとすると、どうしても「正しく」表現しなければと力んでしまう。でも、ただ気づくだけなら、もっと優しくできる。
小さな実験の提案: 今日寝る前に、一つだけ質問を自分に投げかけてみませんか。「今日、体のどこかに感じたことは?」それだけ。答えは一行でいい。肩の重さでも、お茶の温かさでも、風の冷たさでも。感情の前に、まず体が何かを知っているかもしれない。
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