昨夜、11時を少し過ぎたあたりで、なんとなくスマートフォンを置いた。特に理由はなかった。ただ手首が重くて、画面を見続けるのが億劫になった。身体感覚としては、目の奥に鈍い圧がある感じ。気分は「疲れている...
昨夜、11時を少し過ぎたあたりで、なんとなくスマートフォンを置いた。特に理由はなかった。ただ手首が重くて、画面を見続けるのが億劫になった。身体感覚としては、目の奥に鈍い圧がある感じ。気分は「疲れている...
今朝、コーヒーを淹れる前に右肩が少し上がっていることに気づいた。肩こりとはちがう、もっとかすかな緊張——どこかをかまえているような感じ。特に思い当たることはなかったが、昨夜は寝つきが遅かった。気づいた...
朝、コーヒーを二杯目に手を伸ばしかけたとき、ふと止まった。 昨夜の十一時すぎに緑茶を一杯飲んだ。それが今朝に影響しているかどうかはわからない。ただ、目が覚めたとき、肩がすでに上がっていた。これは身体感...
午後二時ごろ、三十分ほど続いた集中が突然途切れた。途切れたというよりも、意志そのものが空っぽになった感じだった。椅子に座ったまま、しばらく何もできなかった。立ち上がることもせず、ただ窓の外の光が少し傾...
午後2時ごろ、メールを書こうとして手が止まった。 文章が浮かばないというより、指が動くのをどこかが拒否している感じだった。身体感覚としては、肩が微妙に前に丸まっていて、首の付け根に小さな張りがある。目...
朝、窓を開けたときに聞こえてきたのは、いつもと違う鳥の声だった。高く、少し鋭い鳴き声。調べてみると、渡り鳥の季節が始まっているらしい。毎年この時期になると、見慣れた風景の中に小さな変化が混ざり込んでくる。それに気づくかどうかは、自分の心がどれだけ開いているかで決まる気がする。
最近、「気づく」ということについて考えている。昨日、コーヒーを淹れながら、豆を挽く音に集中してみた。ザリザリという音が、いつもより大きく感じられた。そして気づいた。普段は音楽を流しながら淹れているから、この音をちゃんと聞いたことがなかったのだと。小さな実験だったけれど、発見があった。
「いつも通り」というのは、実は「いつも気づいていない」ということかもしれない。
午後、友人から連絡があった。「最近、考えすぎて疲れる」と。私も同じことをよく感じる。頭の中で同じ思考がぐるぐる回り続けるとき、それは考えているのではなく、思考に捕まっているのかもしれない。そんなときは、手を動かすことにしている。今日は、机の上の本を五十音順に並べ替えてみた。単純な作業だけれど、手を動かしているうちに、頭の中の渋滞が少しほどけていくのがわかった。
哲学者の言葉を思い出した。「考えるとは、問いを立てることだ」と。答えを探すことではなく、良い問いを見つけること。それなら、今日の私の問いはこうだ。「私は今、何を感じているのだろう?」答えはすぐには出ないけれど、問いがあるだけで、少し楽になる。
夕方、散歩に出た。同じ道を歩いているはずなのに、光の角度が変わるだけで、見える景色が変わる。影が長くなり、建物の輪郭が柔らかくなる。一日の中で、世界は何度も姿を変えている。私たちの心も、きっと同じだ。
もしよかったら、今日試してみてほしいことがある。一日のうち、たった一回だけ、「今、何を感じているか」を言葉にしてみる。一行でいい。正解も不正解もない。ただ、自分の内側に起きていることを、そっと拾い上げてみる。それだけで、少し違う一日になるかもしれない。
#内省 #気づき #マインドフルネス #日常の哲学