朝、コーヒーを淹れながら、湯気が立ち上る様子をぼんやり眺めていた。透明だった水蒸気が、少し冷えた空気に触れた瞬間、白く姿を現す。見えないものが見えるようになる、その境界線のようなものに心が留まった。
最近、自分の思考パターンについて気づいたことがある。何か新しいアイデアを思いついたとき、すぐにそれを「良い」か「悪い」かで判断しようとしてしまう癖だ。昨日も、ふと浮かんだ考えに対して反射的に「それは違う」と心の中で否定してしまった。でも、ちょっと待って、と自分に問いかけてみた。なぜ否定したんだろう?本当に「違う」のか、それとも単に慣れていないだけなのか。
判断を一時停止してみると、不思議なことが起きた。その考えが、良いでも悪いでもなく、ただそこに存在している状態になった。すると、別の角度から眺める余裕が生まれた。コーヒーの湯気のように、評価というフィルターを外したら、思考そのものの輪郭がもっとはっきり見えてくる気がした。
友人との会話で、「最近、考えすぎて疲れちゃう」という言葉を聞いた。私も同じだ。でも、疲れるのは「考えること」そのものではなくて、考えながら同時に「この考え方で合っているか」「これで正解か」と評価し続けているからかもしれない。思考に思考を重ねている状態。
もし興味があれば、小さな実験を試してみてほしい。今日一日のうち、たった5分でいい。浮かんだ考えに対して「良い・悪い」「正しい・間違い」の判断をせず、ただ「ああ、こんなことを考えているんだな」と観察してみる。評価を手放すと、思考との距離が少し変わるかもしれない。
判断を保留することは、何も決めないこととは違う。むしろ、より深く理解するための一時停止のようなものだと思う。湯気が見えるまでの、ほんの少しの間のように。
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