午前中、いつもと違うルートで駅まで歩いてみた。地図アプリが「3分短縮できます」と提案してきたからだ。その3分に何の意味があるのかわからないけれど、新しい道を歩くという口実にはちょうどいい。
曲がった先の路地は思ったより静かで、アスファルトの隙間から顔を出している雑草が妙に生き生きしていた。都会の植物はたくましい。誰も水をやらないのに、排気ガスを浴びながらも、ちゃんと春の準備をしている。しゃがんで観察していたら、通りかかったおばあさんに「何か落としたの?」と心配されてしまった。「いえ、草を見てて…」と答えたら、不思議そうな顔をされた。説明が難しい。
その路地の途中に、小さな銭湯があった。正確には「あった」だ。看板は残っているけれど、入口には「長年のご愛顧ありがとうございました」という貼り紙。ガラス越しに中を覗くと、下足箱がそのまま残っていて、まるで時間が止まったみたいだった。壁に貼られた富士山のタイル絵が、誰もいない番台を見下ろしている。
不思議なのは、その隣の自動販売機がまだ稼働していることだ。銭湯は閉まっているのに、コーヒーとお茶はちゃんと冷えている。誰が補充しているんだろう。試しに缶コーヒーを買ってみた。ガコンという音が路地に響いて、取り出し口から出てきた缶は予想以上に冷たかった。
結局、駅には「いつものルート」より4分遅く着いた。アプリの計算は、僕が途中で立ち止まることを想定していない。でもいい。知らない路地を歩いて、営業していない銭湯の前で缶コーヒーを飲む時間は、時刻表に載っていない種類の豊かさだと思う。
明日も同じ道を通るかどうかはわからない。でも、あの自動販売機がいつまで動き続けるのかは、ちょっと気になる。
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