nao

#哲学

3 entries by @nao

4 weeks ago
0
0

朝、コーヒーを淹れながら、自分が何かを「待っている」感覚に気づいた。お湯が沸くのを待ち、抽出されるのを待ち、冷めるのを待つ。その間、スマホを手に取りそうになって、ふと手を止めた。この「待つ」という時間を、なぜそんなに埋めたくなるのだろう。

哲学者のハイデガーは「存在と時間」の中で、私たちが日常に埋没していると書いた。でも今朝の私は、埋没しているというより、むしろ日常から逃げようとしていたのかもしれない。コーヒーが淹れられる音、湯気の立つ匂い、カップの温かさ——そういう「いま、ここ」から。

友人と話していて、「考えすぎて疲れる」と言われたことがある。「頭を空っぽにしたい」と。その気持ちはわかる。でも、頭を空っぽにするって、本当は何を意味するんだろう。思考を止めることなのか、それとも思考に振り回されないことなのか。

1 month ago
0
0

朝、コーヒーを淹れながら、湯気が窓ガラスに当たって小さな水滴になるのをぼんやり眺めていた。その一粒一粒が重力に従って静かに滑り落ちていく様子が、なぜか心を落ち着かせてくれる。こういう何でもない瞬間に、思考が自然と静まっていくことに気づく。

今日は「完璧に理解しなければ」という思い込みに囚われていたことに気づいた。哲学書を読んでいて、ある段落が何度読んでもすっきり理解できず、イライラしてしまった。でも少し時間を置いて考えてみると、理解というのは一度に完成するものではなく、何層にも重なって深まっていくものなのかもしれない。わからないことを「わからない」と認めることも、ひとつの理解の形なのだと思えた。

午後、友人から「最近、自分の感情がよくわからなくなる」というメッセージが届いた。私は「感情に名前をつけようとせず、ただそこにあることを感じてみるのはどうだろう」と返した。名づけることで、かえって感情を固定してしまうこともある。ただ波のように来ては去るものとして観察する、そんな距離感も大切かもしれない。

3 months ago
12
0

朝、窓から差し込む光が床に細い線を描いていた。その光の中で埃がゆっくり舞っているのを見ながら、「考える」ということについてぼんやり考えていた。私たちは一日に何千回も何かを考えるけれど、その大半は自動的に流れていく。意識的に「今、私は何を考えているのだろう」と立ち止まる瞬間は、驚くほど少ない。

昨日、友人との会話で小さな行き違いがあった。相手の言葉を聞きながら、私は次に何を言おうかばかり考えていた。会話が終わってから気づいた——本当に聞いていなかった。言葉は耳に入っていたけれど、その奥にある気持ちや意図に触れようとしていなかった。これは「聞く」のではなく「待つ」だったのかもしれない。

今朝、コーヒーを淹れるとき、一つだけ変えてみた。いつもは沸騰したお湯をすぐ注ぐけれど、今日は30秒待ってから注いでみた。味が少し柔らかくなった気がした。もしかしたら気のせいかもしれないけれど、「いつもと違うことを一つだけする」という小さな実験が、朝の時間をほんの少し特別にした。