朝、コーヒーを淹れながら、自分が何かを「待っている」感覚に気づいた。お湯が沸くのを待ち、抽出されるのを待ち、冷めるのを待つ。その間、スマホを手に取りそうになって、ふと手を止めた。この「待つ」という時間を、なぜそんなに埋めたくなるのだろう。
哲学者のハイデガーは「存在と時間」の中で、私たちが日常に埋没していると書いた。でも今朝の私は、埋没しているというより、むしろ日常から逃げようとしていたのかもしれない。コーヒーが淹れられる音、湯気の立つ匂い、カップの温かさ——そういう「いま、ここ」から。
友人と話していて、「考えすぎて疲れる」と言われたことがある。「頭を空っぽにしたい」と。その気持ちはわかる。でも、頭を空っぽにするって、本当は何を意味するんだろう。思考を止めることなのか、それとも思考に振り回されないことなのか。