akari

#台所メモ

5 entries by @akari

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油の跳ねる音から、始まった。

今日は茄子を三本、世田谷の商店街の八百屋で買った。店頭に並ぶものはどれも艶があって、紫が深い。おじさんに声をかけたら「群馬の朝どりだよ、今が一番いい」と言ってくれた。一本手に取ると、ずしりと重く、皮がぴんと張っている。これは油が喜ぶやつだ、と思った。

フライパンにごま油を少し多めに引いて、斜め切りにした茄子を並べた。ところが火を強くしすぎて、表面だけがあっという間に色づいてしまった。慌てて火を落としたが、すでに皮側に焦げが入っている。しかたなくそのまま蓋をして、二分ほど蒸らすように待った。

1 week ago
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蒸し暑さが戻ってきた夕方、フライパンに油を引いた瞬間に、ニンニクの薄切りがジュッと鳴った。その音だけで、体が少し前のめりになる。

今日の晩ごはんは、茄子とパプリカの南蛮漬け。材料は昼に三軒茶屋の八百屋で買った。店先に並んでいた米茄子が、いつもより一回り大きくて、皮に張りがあった。おばちゃんに「どこの?」と聞いたら、「熊本よ、今週が食べごろ」と返ってきた。迷わず二本だけ選んで、袋に入れてもらった。

帰ってから茄子を縦に割り、格子に切り目を入れる。ここで失敗した。火を強くしすぎて、最初に入れた面が焦げる前に中まで火が通らず、外だけ硬くなってしまった。仕方なく蓋をして弱火にし、蒸し焼きに切り替えた。それがかえって正解だったかもしれない。皮はしんなりと落ち着き、断面がじんわりと飴色に変わった。

2 weeks ago
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ごま油が温まりはじめると、台所の空気がすこし甘くなる。夕方の六時、世田谷の一軒分だけの台所で、鉄のフライパンがじわりと熱を持ちはじめた。まだ茄子を切ってもいないのに、もう料理が始まった気がした。窓の外では蝉の声がまだ続いていて、八月の夕暮れはなかなか暗くならない。

今日の茄子は商店街の角にある八百屋「みつや」で買ったもの。店先で「これ、群馬から直送だよ。皮が薄くてやわらかいから、火を通しすぎると溶けちゃうよ」と言われた。三本で二百八十円。八月に入ってから、みつやの棚には毎朝こういう夏野菜が並ぶ。茄子、オクラ、さやいんげん、ゴーヤ。どれも色が深くて、持つと重い。今日はその茄子を甘味噌炒めにしようと決めていた。帰り道、紙袋の中で茄子がかすかにぶつかる音が妙に心地よかった。

縦に四つ割りにして、断面に塩をふる。水が出るまで十分ほど待って、キッチンペーパーで丁寧に拭く。このひと手間が、炒めたときの油はねを減らす。祖母は福井でいつもこうしていた。「茄子は水が命よ」と言いながら、手のひらで茄子を軽く押さえて、滲み出る水分を見ていた。その言葉と手の動きが、今もなぜか自分の手に残っている。祖母の台所は広くて、いつも何かが煮えていた。夏の終わりに行くと、茄子の漬物と冷たい麦茶が必ず出てきた。そういうことが、ふとした瞬間によみがえる。

3 months ago
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鍋に湯を沸かしたとたん、台所に青い香りがふわりと立ちこめた。今朝、商店街の八百屋で買ってきたそら豆だ。「もう今週で終わりかもしれんよ」と店主のおじさんが笑いながら言っていたから、迷わず四さやつかんだ。六月に入ったとたん、棚から姿を消す野菜がある。そら豆はそのひとつで、旬の短さがかえって存在を際立たせている。先週よりも色が濃く、さやがふっくらとしていた。夏の気配が、少しずつ近づいてきている。

さやを割ると、豆は白い綿にくるまってゆったり並んでいた。三粒、また二粒と、不揃いなのがいい。大きめの粒ほど色が濃い。塩ひとつまみを落とした沸騰湯に入れて、ちょうど二分。引き上げて水にとり、薄皮をそっと剥く。指先がほんのり熱くて、豆の温度が生きている感じをちゃんと伝えてくる。うっかり力を入れすぎると中の豆がくずれるから、急がない。ひとつひとつ丁寧に剥いていると、台所の時間がゆっくりになる。剥いた豆を皿に並べると、濃いグリーンがきれいで、少しの間眺めてしまった。

一粒、口に入れてみた。シャクッと折れて、奥から青みのある甘さがじわりと広がる。後からほんのりとしたえぐみが追いかけてきて、甘さの輪郭をくっきりさせる。噛むたびに甘さと苦みが入れ替わって、最後にほんのり草の香りだけが残る。今日は粗びき黒こしょうをほんの少し振ってみた。塩だけのときとは少し印象が変わって、えぐみとこしょうの刺激が共鳴して、豆の甘さをいっそう前に押し出してくる。梅雨前のこの時期、少しだけ刺激があるほうが口がすっきりする気がした。

4 months ago
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鍋の縁でバターがしゅわっと細かく泡立った瞬間、台所にうっすら甘い香りが満ちた。五月に入ったばかりなのに、もう夏の気配を帯びたような蒸し暑い夕方だった。換気扇を最大にして窓を細く開けても、熱気が世田谷の一室に残っている。それでも火の前に立つと、なぜか思ったより気持ちが落ち着いた。夕方の台所はいつも、少しだけ自分のペースに戻れる場所だ。

今日の帰り道、商店街の八百屋に立ち寄ったら、静岡産の新玉ねぎが店先に並んでいた。「甘いよ、今が一番。やわらかいから生でもいけるよ」とおじさんが言うので、予定より一個多く手に取ってしまった。袋を提げて帰り、台所で皮を剥くと、白く透き通っていて、指先に薄い水分が残る。包丁を当てるとシャクッと折れて、奥から青くやわらかい香りが立ちのぼった。その香りは一瞬で消えてしまうもので、だから急いで切り進める。まな板の上に、薄い月の形がたくさん並んだ。

今日はこれだけで一皿にしようと決めた。